政治

賛否渦巻く中執り行われた安部元総理国葬

ついに迎えた国葬当日

9月27日午後2時から、参院選の街頭演説中に銃撃され7月8日に亡くなった安部晋三元総理の国葬儀が東京・日本武道館にて執り行なわれた。

さまざまな議論を呼んでいた安部元総理の国葬。

国葬前日までに安部氏へのデジタル献花数は21万を超え、たくさんの人々が感謝や別れのコメントを寄せていた。

その一方で、国葬中止を訴える署名は19万以上。

良くも悪くも、いろいろな意味で安部氏の影響力の大きさを実感した人が多かったのではないだろうか。

本日行なわれた国葬には法的根拠がなく、岸田文雄首相は国権の最高機関である国会での審議を行なわず、閣議決定だけで多額の税金を投じて強行。

国民への説明不足が指摘され、支持率は低下の一途を辿っている。

安部氏と旧統一教会との関わりが次々に明らかになり、過半数を超える反対意見が示されている世論調査もある。

しかし、国葬当日の設けられた一般の献花台には朝から多くの人が訪れ、午前10時開始の予定が30分早まり午前9時半から開始された。

国葬が開始される前の午後1時の段階では、献花に訪れた人の数が1万人を超えたという。

安倍元総理の国葬
安倍元総理の国葬

富士山をかたどった式壇

式壇には安部氏が好きな富士山がかたどられ、左右には広く伸びた裾野と雪化粧が施された頂が描かれた。

そして安部氏の遺骨と議員バッジ、北朝鮮の拉致被害者救出を使うブルーリボンバッジも安置されていた。

さらに、安部氏が生前口にしていた「常に闘う政治家でありたい」という信念のもとに、国家や国民のためならいかなる批判も恐れず行動してきたというせいじかとしての軌跡が表現されたのだという。

会場に安部氏の遺骨が到着した際には、自衛隊が19発の弔砲を発射し、儀仗隊の敬礼によって出迎えられた。

そして、儀仗隊の先導で葬儀委員長を務める岸田首相、喪主である昭惠夫人が遺骨を抱いて入場。

新型コロナウイルス対策のため、参列者はマスク着用が求められ、会話も控えるよう呼びかけられるなど徹底。

水分補給のためのペットボトルの配布や、気分や体調が悪くなったときのための救護所も設置。

葬儀副院長を務める松野博一官房長官による開式の辞の後に、陸自中央音楽隊・海自東京音楽隊・空自中央音楽隊により国家が演奏され、1分間の黙禱が捧げられた。

さまざまな国民の反応

前述したとおり『安部元総理デジタル献花プロジェクト』は、前日の段階で献花数が21万を超えていたが、27日午後0時過ぎには25万件を超え、アクセスが集中し献花ができない状態だという。

そのため、受付が9月30日まで延期されることが発表された。

この献花プロジェクトは20代と30代の若者が中心となって立ち上げられたもので、弔意を示したい人は誰でも無料で献花とメッセージを送ることが可能。

一方、都内各所では国葬反対を訴えるデモが行なわれた。警視庁によると、デモとして届けられているのは4カ所のみだが、その他にも小規模な反対行動などが行なわれている。

国葬会場の日本武道館の周辺でもデモが行われ、国会前には国民や野党の代表ら数千人規模の人数が集まり、国葬開始時刻に合わせて反対の声をあげた。

警視庁は混乱を避けるため警視総監をトップに最高警備本部を設置。

全体で2万人にものぼる警備体制を敷いている。

27日正午には、「#安部さんありがとう」がTwitterのトレンド1位に浮上し、3位は「#一般献花」、7位は「#最後の最後まで国葬に反対」など国民の賛否が入り混じる結果となった。

国葬の様子はテレビ各局の情報番組で生中継され、中でも菅義偉前首相の弔辞に注目が集まった。

菅氏は弔辞の中で「貴方と同じ空気が吸いたい」など盟友の安部氏への思いを率直な言葉で語り、弔辞直後にTwitterのトレンド2位に「#菅さんの弔辞」が急浮上した。菅氏の心が込もった弔辞に感動した人が多かったようだ。

岸田首相による追悼の辞

国葬では、岸田首相が追悼の辞を読み上げた。追悼の辞の全文は次のとおり。

「葬儀委員長弔辞 従一位、大勲位菊花章頸飾、安倍晋三・元内閣総理大臣の国葬儀が執り行われるに当たり、ここに政府を代表し、謹んで追悼のことばを捧げます。7月8日、選挙戦が最終盤を迎える中、安倍さん、あなたはいつもの通り、この国の進むべき道を聴衆の前で熱く語りかけておられた。そして、突然、それは暴力によってさえぎられた。あってはならないことが起きてしまいました。いったい誰が、こんな日が来ることを、寸毫なりとも予知することができたでしょうか。安倍さん、あなたは、まだまだ長く生きていてもらわなければならない人でした。日本と世界の行く末を示す羅針盤として、この先も十年、いや二十年、力を尽くしてくださるものと、わたくしは確信しておりました。わたくしばかりではありません、本日、ここに、日本の各界各層から、世界中の国と地域から、あなたを惜しむ方々が参列してくださいました。みな、同じ思いをもって、あなたのお姿にまなざしを注いでいるはずです。しかしそれは、もはや、叶うことはない。残念でなりません。痛恨の極みであります。29年前、第四十回衆議院議員総選挙に、あなたとわたくしは初めて当選し、ともに政治の世界へ飛び込みました。わたくしは同期の一人として、安全保障、外交について、さらには経済、社会保障に関しても、勉強と研鑽にたゆみなかったあなたの姿をつぶさに見てまいりました。なによりも、北朝鮮が日本国民を連れ去った拉致事件について、あなたはまだ議会に席を得るはるか前から強い憤りをもち、並々ならぬ正義感をもって関心を深めておられた姿を、わたくしは知っています。被害者の方々を、ついに連れ戻すことができなかったことは、さぞかし無念であったでしょう。わたくしはあなたの遺志を継ぎ、一日千秋の思いで待つご家族のもとに、拉致被害者が帰ってくることができるよう、全力を尽くす所存です。平成18年、あなたは52歳で内閣総理大臣になりました。戦後に生を受けた人として、初めての例でした。わたしたち世代の旗手として、当時あなたが、戦後置き去りにされた国家の根幹的な課題に次々とチャレンジされるのを、期待と興奮をもって眺めたことを今、思い起こしております。わたしたちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化を持つ国だ。まだまだ大いなる可能性を秘めている。それを引き出すのは、わたしたちの勇気と、英知と、努力である。日本人であることを誇りに思い、日本の明日のために何をなすべきかを語り合おうではないか。戦後最も若い総理大臣が発した国民へのメッセージは、シンプルで明快でした。戦後レジームからの脱却。防衛庁を独自の予算編成ができる防衛省に昇格させ、国民投票法を制定して、憲法改正に向けた大きな橋を架けられました。教育基本法を約60年ぶりに改めて、新しい日本のアイデンティティの種を蒔きました。インドの国会に立ったあなたは「二つの海の交わり」を説いて、「インド太平洋」という概念を初めて打ち出しました。これらはすべて、今日につらなる礎です。そのころあなたは国会で、「総理大臣とはどういうものか」との質問を受け、「溶けた鉄を鋳型に流し込めばそれでできる鋳造品ではない」と答えています。「叩かれて、叩かれて、やっと形をなす鍛造品。それが総理というものだ」と、そう言っています。鉄鋼マンとして世に出た人らしいたとえです。そんなあなたにとって、わずか1年で総理の職務に自ら終止符を打たねばならなかったことくらい、つらいことはなかったでありましょう。しかし、わたしたちはもう、よく承知しています。平成24年の暮れ、もう一度総理の座につくまでに、あなたは自らをいっそう強い鍛造品として鍛えていたのです。「2つの海の交わり」を説いたあなたは、さらに考えを深め、「自由で開かれたインド太平洋」という、たくさんの国、多くの人々を包摂する枠組みへと育てました。米国との関係を格段に強化し、日米の抑止力を飛躍的に強くした上に、年来の主張にもとづき、インド、オーストラリアとの連携を充実させて、「クアッド」の枠組みをつくりました。あなたの重層的な外交は、世界のどの地域とも良好な関係を築かれた。欧州との経済連携協定と戦略的パートナーシップ協定の締結、そして、アジア地域、ユーラシア地域、中東、アフリカ、中南米地域と、これまでにない果断で率直な外交を展開され、次々と深い協力関係を築かれていった。平和安全法制、特定秘密保護法など、苦しい経過を乗り切って、あなたは成就させ、ために、わが国の安全はより一層保てるようになりました。日本と地域、さらには世界の安全を支える頼もしい屋根をかけ、自由、民主主義、人権と法の支配を重んじる開かれた国際秩序の維持増進に世界の誰より力を尽くしたのは、安倍晋三その人でした。わたくしは、外務大臣として、その同じ時代を生きてきた盟友として、あなたの内閣に加わり、日本外交の地平を広げる仕事に一意専心取り組むことができたことを、一生の誇りとすることでしょう。国内にあっては、あなたは若い人々を、とりわけ女性を励ましました。子育ての負担を少しでもやわらげることで、希望出生率をかなえようと努力をされた。消費税を上げるかわりに、増える歳入を保育費や学費を下げる途に用いる決断をしたのは、その途の先に、自信を取り戻した日本の若者が、新しい何かを生み出して日本を前に進めてくれるに違いないと、信じていたからです。あなたはわが国憲政史上最も長く政権にありましたが、歴史はその長さよりも、達成した事績によってあなたを記憶することでしょう。「勇とは義しき事をなすことなり」という新渡戸稲造の言葉を、あなたは一度、防衛大学校の卒業式で使っています。Courage is doing what is right.安倍さん。あなたこそ、勇気の人でありました。一途な誠の人、熱い情けの人であって、友人をこよなく大切にし、昭恵夫人を深く愛したよき夫でもあったあなたのことを、わたくしはいつまでも懐かしく思い出すだろうと思います。そして、日本の、世界中の多くの人たちが、「安倍総理の頃」「安倍総理の時代」などと、あなたを懐かしむに違いありません。あなたが敷いた土台の上に、持続的ですべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていくことを誓いとしてここに述べ、追悼の辞といたします。  安倍さん、安倍総理。お疲れさまでした。そして、本当にありがとうございました。どうか、安らかにおやすみください。令和四年九月二十七日 日本国内閣総理大臣、岸田文雄」

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