愛子さまが初の記者会見「産んでくれてありがとう」 眞子さんにも言及
天皇皇后両陛下の長女である愛子さまが成年にあたり、初めての記者会見に臨まれました。
愛子さま、初の記者会見
愛子さま 「まずは、昨夜起こった地震によって、亡くなられた方がいらっしゃることに大変心が痛んでおります。
ご遺族の皆様と被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます」
16日にあった地震で被害にあった方々へのお心遣いから始まりました。
「年末から年始にかけ、いくつかの宮中祭祀にも参列いたしまして、自分が成年皇族の一員になったという自覚もさらに芽生え、個々の行事に関してもより一層責任感をもって臨まなければならないと感じた瞬間でした」
去年の12月に成年皇族となられた愛子さまにとっては初めてのお一人での会見になり、学業のスケジュールを優先したために17日の会見となりました。
両陛下に感謝の思い
愛子さまは2001年、天皇皇后両陛下の長女としてお生まれになりました。
その際、皇后さまは、「初めて、私の胸元に連れてこられる、生まれたての子どもの姿を見るなり、本当に生まれてきてくれてありがとうという気持ちでいっぱいになりました」
両陛下のたくさんの愛情に包まれ、成長された愛子さま。
運動会では元気いっぱいの姿でグラウンドを駆け回りました。
チェロの担当として、管弦楽部にもお入りになり陛下との共演でビオラも演奏されることもありました。
また、愛子さまはいつも両陛下にその日にあった出来事を楽しそうにお話をされるとのことで、天皇陛下も「愛子はいつも家族との時間をとても大切にしてくれ、愛子と3人で一緒にいると、私たちは笑いの絶えない楽しいものになります」
愛子さま:「両親は、私の喜びを自分のことのように喜び、反対に私が困っている時は自分ごとのように悩み、いつも親身に相談に乗ってくれるような、私がどういった状況にあろうとも、一番近くで寄り添ってくれる、かけがえのない、ありがたい存在でございます」
さらに、愛子さまは両陛下には、「母の『生まれてきてくれてありがとう』という言葉に掛け、私も『産んでくれてありがとう』と伝えたいと思います」と仰りました。
また、両陛下との思い出も尽きず、「これまで行ったどの旅行も、非常に思い出深いものではありますが、静岡県下田市にある須崎御用邸に行ったとき、サーフボードを海に浮かべながら、3人で一緒に座るといった挑戦をしましたが、全員見事に海面へ落下してしまった思い出など、お話しし始めると日が暮れてしまうかもしれません」
愛子さまの長所
愛子さまご自身について長所を述べられた際には、「自分ではなかなか気づきにくいものでございますけれども、事前にも同様のご質問を頂いておりましたので、改めてじっくりと考えてみまして。強いて申し上げれば、どこでも寝られるところでしょうか。以前、栃木県にある那須の御用邸にいき、その着いた晩に縁側にあるソファで寝てしまい、そのまま翌朝を迎えた、なんてこともございました」
天皇陛下からのアドバイスも・・・
30分にわたる会見に出席した、皇室担当記者は、愛子さまの印象について、次のように述べました。
「ほぼ、原稿へ目を落とすことなく、記者の目を見て話していたということです。その場にいた記者一人ひとりと目を合わせるように、右から左に、左から右にと顔を振って。私も目が合ったかもしれません」
コロナウイルス感染防止のために、出席している記者同士の間隔を広くとり、常に顔を大きく左右に向けられていたという愛子さま。
天皇陛下からのアドバイスで、天皇陛下が話を聞いてくださる方の顔を見て、目と目を合わせて伝えたいという気持ちをもって答えることで、緊張しなくなるんだということを愛子さま自身が明らかにしています。
愛子さまの結婚観
去年結婚し、皇籍を離れた小室眞子さんについて、質問を受けた愛子さまは自身の結婚観を合わせて答えられました。
まず眞子さんについて、「幼いころから、いつも変わらず、明るく優しく接していただいたことをありがたく思うとともに、いとことして、末永いお幸せをお祈りしております」と述べられた。
「結婚は私にとっては、まだ先のことのように感じられ、今まで意識したことはございません。理想のお相手については、特別これといったものはございませんが、一緒にいてお互いが笑顔になれるような関係が理想的ではないかと考えております」
愛子さま
愛子さまは2001年の12月1日に天皇、皇后両陛下の長女として誕生した。
称号の「敬宮」、そして名前の「愛子」は、ともに中国古典の「孟子」にある、「人を愛する者は常に人に愛され、人を敬う者は常に人に敬われる」ということばから付けられた。