赤木雅子さん、国との裁判が終わる 突然の終止符に落胆
森友学園をめぐる財務省の公文書改ざん問題で当時担当していた赤木俊夫さん(当時54)が苦悩の末、自殺してしまった事件について今月15日に終止符が打たれた。
亡くなった赤木俊夫さんの妻、雅子さん(50)は国や当時直接指示を行っていた赤木さんの上司に対し損害賠償を求めて訴訟を行っていたが、国側は突然、「認諾」という形で原告の請求を認め、国との訴訟は終結された。
国側は改ざんの指示を受け、業務負担が増したことでうつを発症し、赤木さんが自殺してしまったことについて、「国家賠償上の責任を認めるのが相当」との説明に加え、「いたずらに訴訟を伸ばすことは適切なことではなく、決裁文書の改ざんという重大な行為について認諾する」とし、請求額の1億700万円を支払うこととした。
これまで国側は請求の棄却を求め雅子さんと争っていたが今回、地裁側にも事前に知らされてはおらず、主張を一変させるようなことは異例の訴訟対応になったという。
しかし、遺族たちは引き続き森友学園の改ざんについて直接指示していたとされる同省の理財局長への550万円の賠償を求める訴訟については継続していくとした。
雅子さんは、この判決に対し裁判所による事実認定がしっかりと行われずに真相を解明する機会が失われたとし、お金で解決することではないとした。
さらにこの結果について、「信義則に反する」と代理人弁護士の生越照幸氏は批判した。
赤木雅子さん、麻生さんへの手紙
「私の大切な夫のお墓参りに」
11月、財務省の公文書改ざんを受け、自ら命を絶った近畿財務局の赤木俊夫さんの妻である、雅子さんは夫の死の真相を解明しようと各地メディアで訴えるため、福岡市内にある西日本新聞社を訪ねていた。
そして雅子さんはせっかく福岡に来たこともあり、元財務大臣をしていた麻生太郎さんの地元である筑豊地方の飯塚市を見て回ろうと思いたった。
麻生さんは、改ざん事件時、そして森友学園が国有地値引き売却時や雅子さんの夫、俊夫さんが自殺した時にも財務大臣をしていた。
雅子さんは自身の想いを麻生さんに伝えたいと、麻生さんの事務所へ足を運んだ。
麻生さんの事務所は地元の飯塚市内のビルにあり、事前にアポはしていなかったが、そのまま雅子さんは事務所の扉を開けた。
雅子さんが名乗ると、事務所にいた男性から「あ~」という声があり、一瞬の間のあと状況が理解されたようだった。
「私は麻生さんあてに書いた手紙を持ってきたので、麻生さんに渡してほしい」と伝えると、拒否されるかもしれないという思いもあったなか、麻生さん本人はあまり、ここに来ないということだったが郵送しておくとのことで、無事に受け取ってくれた。
雅子さんが麻生さんに向けて書いた手紙内には、次のように書いたという。
「麻生太郎様、財務大臣のお務めお疲れ様でした。私は麻生さんにお願いがあり、手紙を書きました。もう大臣をお辞めになった麻生さんは、既に裁判とは関係ののないお立場におられると思いますが、是非、私の大切な夫である赤木俊夫のお墓参りにきてほしいです。そうすると夫も喜びます。しかし、夫は2017年に近畿財務局での文書改ざん問題を苦に翌年、自ら命を絶ちました。」
雅子さんは麻生さんに、ただ、自分の夫の墓参りをお願いしたいだけだった。
そして、「裁判」という言葉については、雅子さんが去年、国と改ざんの指示を直接指示したとされる佐川宣寿元財務省理財局長を相手に起こした損害賠償訴訟を指し、その裁判ともう関係ない立場としたのは以前、麻生さんが財務大臣だった際に部下であった俊夫さんの墓参しないのは「裁判の当事者になっているので行かない」と説明したことに対する文言を表している。
もう財務大臣を辞め、裁判の当事者でもないので夫の墓参りに来ても問題ありませんよね、という意味を込めたという。
麻生さんの地元である福岡。
その飯塚市内には大きな麻生大浦荘やスーパー、病院、専門学校などがあり、麻生さんの影響力が強い地域になっている。
そして、大浦荘のすぐ近くには、麻生さんの飯塚での自宅があり、広大な敷地を取り囲む塀や正面にある大きな門がならんでいる。
大きな敷地を前に立った雅子さんは「すごく立派な邸宅やわ。こんな建物に暮らす人に、人ひとりが亡くなった重みがわかるんやろうか・・・」とつぶやいた。
岸田首相にもお手紙を出し、麻生さんにも出したが結局、その返事は来なかった。
そして、今回ついに急な国の「認諾」により真相はつかめずに終結した。
これまで、雅子さんは真相を解明するため20年3月に国と佐川氏に対して損害賠償を求め、訴訟を起こした。
国を相手に争うことへの不安や恐怖はすごくあったといい、普段の生活でも駅のホームでは線路から離れて立ち、階段を降りるときには背後が一段と気になるようになったという。
しかし、そんな雅子さんを後押ししてくれたのは全国で出会った支援者たちの存在のおかげだとし、「夫が導いてくれている」と感じていると語っていた。