芸能

病気を公表せず、生涯現役を貫いたロック人生!鮎川誠さん死去

すい臓がんのため死去

ロックバンド“シーナ&ロケッツ”のギタリスト鮎川誠さんが、すい臓がんのため1月29日に東京都の自宅で亡くなったことを1月30日に公式サイトが発表した。

享年74歳。

公式サイトによると、「1月29日5時47分、鮎川誠が永眠いたしました。

これまで鮎川誠とシーナ&ロケッツを長年にわたって応援し、愛してくださり本当に有難うございました」と感謝を表した。

鮎川さんは2022年5月にすい臓がんが判明し、医師からは「余命5カ月」との宣告を受けていた。

しかし、「みんなに心配をかけたくない」という本人の強い希望により公表することなく、治療を続けながら全国ツアーを続行していた。

「自分が死ぬまでの間に1本でも多くシーナ&ロケッツのライブをやりたい」と、1本1本のライブに全身全霊を注いでいたことも明かされた。

新宿ロフトにて開催した45周年記念ライブや47都道府県ツアー、沖縄県宮古島でのライブなどで

「重いレスポール(ギター)を爆音でかき鳴らし、病があるにもかかわらず、いつも熱いステージだった」

とし、2022年のライブ本数はここ数年の中でも最多だったことも記されている。

12月19日は、最後のライブとなった京都のライブハウス“磔磔(たくたく)”に出演したが、年末には激しい腹痛により一時入院。

年越しライブ“ニューイヤー・ロックフェスティバル”に出演予定だったがキャンセルし、ライブに復帰することを目指して懸命に治療に臨んでいたという。

しかし、1月8日に出演予定だった磔磔でのライブもキャンセルしていた。

「亡くなる直前まで、次に出すアルバムの選曲を考えるなど音楽制作に没頭し、最期の瞬間までロックに身を捧げた生涯でした」と綴った。

退院後は自宅で闘病していたが、3人の娘達に見守られるように息を引き取った。

2月4日に東京と下北沢の森巖寺・開山堂でロック葬を執り行い、翌5日に家族のみで告別式を営むという。

喪主は、長女の鮎川陽子さん。

「通夜・葬儀は、長年暮らした下北沢で、シーナと同じ『ロック葬』で送りたいと思います。

どうぞ当日は遠い世界に旅立つ鮎川誠に会いに来て、最後の別れの言葉をかけてあげてください」と呼びかけた。

鮎川さん、ありがとう。安らかに。
鮎川さん、ありがとう。安らかに。

1970年代から日本のロックシーンで活躍

1948年5月2日に福岡県久留米市で生まれた鮎川さんは、“めんたいロック”の草分けとして1970年代からギタリストとして活躍。

1970年に柴山俊之や篠山哲雄らとバンド“サンハウス”を結成。

リードギターと作曲を担当し、1975年にメジャーデビューを果たした。

デビュー前年の1974年には、九州大学を卒業。

サンハウスのライブに訪れたシーナさん(本名 悦子さん)と出会い交際に発展。

同棲生活を送っていた1978年、シーナさんの妊娠を機に結婚。

同年、双子の女の子が誕生。

結婚と出産と同じ1978年にサンハウスは解散し、その後一家で福岡から上京。

シーナ&ロケッツを結成し、シングル『涙のハイウェイ』でデビューした。

翌1979年に1stアルバム『#1』をリリース後、レコード会社を移籍し、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のサポートによりアルバム『真空パック』を制作した。

このアルバムに収録されているシングル『ユー・メイ・ドリーム』が日本航空(JAL)のCMソングに起用され大ヒット。

海外でもアルバムのリリースやライブの開催など、ワールドワイドに活躍。

YMOとのコラボレーションはこの後も続き、世界的ヒットを記録したYMOの2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サバイバー』(1979年)にギターで参加したほか、1979年に中野サンプラザで行われたYMOのライブでは、シーナ&ロケッツがオープニング・アクトを務めた。

また、1980年リリースのシーナ&ロケッツの3rdアルバム『チャンネル・グー』は、YMOのメンバー、細野晴臣と高橋幸宏がプロデュース。

同年に行われたYMOの日本ツアーにも、鮎川さんはギタリストとして参加。

日本武道館で行われたイベントではシーナ&ロケッツとYMOが共演を果たすなど、1980年前後はYMOと音楽活動を共にすることが多かった。

その後、現在まで途切れることなくシーナ&ロケッツとして活動していた。

YMOともコラボし、世に新しい音楽を創り出してきた。
YMOともコラボし、世に新しい音楽を創り出してきた。

長女の陽子さん「父は世界一かっこいいロッカー」

鮎川さんはシーナ&ロケッツの活動以外にもソロアルバムを発表したり、俳優としてテレビドラマや映画に出演したりするなど、活躍の幅を広げた。

俳優としては、1993年のドラマ『愛情物語』(フジテレビ系)や2001年のNHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』に出演。

2008年の映画『ジャージの二人』では、堺雅人の父親役を演じた。

1978年に誕生した双子の長女鮎川陽子さんはモデルとして活躍しているほか、次女の純子さんと三女の知慧子さんは、ロックバンド“DARKSIDE MIRROESのメンバーとして活動。

2015年に最愛の妻シーナさんが子宮頸がんのため61歳で亡くなったが、その後もシーナさんの遺志を継ぎシーナ&ロケッツの活動は継続。

鮎川さんがボーカルを担当し、オリジナルメンバーである奈良敏博、川嶋一秀とのトリオ編成で精力的にライブを行っていた。

長女でモデルの陽子さんは、1月30日にTwitterを更新。

「父、鮎川誠が亡くなりました。

最後の1カ月間、娘3人で交代しながら家で一生懸命看病していました。

絶対よくなるって信じていたのに、回復の願いが叶わず、悲しくて仕方ありません。

お父さんは世界一かっこいいロッカーでした。

応援してくださった皆様、本当に感謝しています」と綴り、笑顔の家族写真を掲載した。

また、陣内孝則、近田春夫、布袋寅泰、クレイジーケンバンドの横山剣など多くの著名人が追悼メッセージやコメントを発表し、生前の鮎川さんを偲んでいる。

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