即位後初の国際親善としてインドネシア訪問中の天皇皇后両陛下。現地の学生と日本語で和やかに交流
日本とインドネシアとの友好親善が深まることを願う
即位後初の国際親善として、インドネシアを訪問中の天皇陛下。
訪問の日程は、6月17日から23日までの7日間の予定。
出発前に開いた記者会見では太平洋戦争中にインドネシアが日本の統治下におかれていた歴史に触れ、「両国の関係には難しい時期もありました」と語られていた。
「戦後、我が国はインドネシアを含むアジア各国とともに国際社会の平和と繁栄のために力を尽くしてきました」と述べ、
「これまでに重ねてきた両国の交流の歴史を踏まえながら今回の訪問を契機とし、両国間の友好親善が更に深まることを願っております」とインドネシア訪問に当たっての願いを口にされていた。
皇后さまとお二人での訪問になるが、日程について「できれば二人揃ってすべての訪問先を訪れたいという気持ちでおりましたが、訪問中の諸行事や現地での移動を含む日程などを総合的に勘案した結果、今回の訪問の一部については私一人で訪問することになりました」と、皇后さまの体調を考慮して無理のない日程を組んだことをご説明された。
「暑さの中、本人にとっては初めての東南アジアへの公式訪問となるため、引き続き体調に気をつけながら、今回の訪問を無事に務めてくれればと思っております」と皇后さまを気遣った。
天皇皇后両陛下がインドネシアに到着した17日、インドネシアの首都ジャカルタの大通りなどには、両陛下を歓迎しようと日本の国旗が掲げられ、宿泊先となるホテルの周辺には約20人の在留邦人らが集まり、手を振って出迎えた。
50代の駐在員の男性は、「両陛下を見ることができ、神聖な気持ちになりました。インドネシアは日本と深いかかわりがあるので、最初に訪問していただき、嬉しいです」と喜んだ。
また、17歳のインドネシア人の高校生は、「日本は先進国で、私達の国は発展途上にあるので、よりよい協力ができることを願っています」と両国の今後に期待を寄せていた。

残留日本兵が埋葬されている墓地を訪問
6月20日、両陛下は元日本兵が埋葬されているカリバタ英雄墓地を訪問された。
元日本兵は、太平洋戦争の後も現地に残って、4年間にもわたって争われたオランダとの独立戦争に加わった“残留日本兵”と呼ばれる人達。
独立戦争には約1,000人の日本兵が参加したが、約半数の日本兵は戦死したと言われている。
戦死した日本兵は、インドネシアの軍人や政治家とともに国家建設に貢献したとしてジャカルタ郊外にあるカリバタ英雄墓地に埋葬されているのだ。
2014年に最後の日本兵が亡くなり、子孫にあたる人達は両陛下がインドネシアに訪問される日を心待ちにしてきたという。
残留日本兵達が立ち上げた団体の会長を務め、定期的にカリバタ英雄墓地のツアーを行っているヘル・サントソさんは「両陛下の訪問は、日系2世として誇りと喜びを感じます」と笑顔を見せた。
カリバタ英雄墓地にはサントソさんの父親である衛藤七男さんが埋葬されており、残留日本兵達が長年にわたって発行していた会報を今でも大切に保管しているという。
サントソさんはカリバタ英雄墓地のツアーの中で、残留日本兵の歴史を伝えてきた。
日本からは逃亡兵や脱走兵と呼ばれていた残留日本兵は、1960年にインドネシアの国籍が認められるまでは無国籍だった歴史がある。
そして、サントソさんら子孫は、「占領者の子ども」だと批判を受けていたこともあるという。
カリバタ英雄墓地に埋葬されている上田金雄さんを父にもつハリー・マリヨノさんは、「天皇陛下が残留日本兵のことを覚えていてくれて、とても感謝している」と話した。
マリヨノさんの子どもで、上田さんの孫にあたる24歳のヨガ・クスマ・バラタさんは、10代のときに自分が日系4世であることを知って以来日本語を勉強中。
将来は日本とインドネシアとの懸け橋となり、上田さんの故郷である岡山県で働くという目標をもっている。

ジャカルタの大学生達と日本語で対話
カリバタ英雄墓地を訪問された後、両陛下は日本語教育に力を入れているジャカルタの私立大学を訪れ、10人の学生達と日本語で交流された。
日本語を学ぶ学生の数が、中国に次いで第2位であるインドネシア。
日本への留学経験者達が中心となって37年前に設立された同大学は、日本語教育のプログラムが充実しており、日本への留学にも力を入れている。
1991年には、上皇ご夫妻が同大学の視察に訪れたこともある。
現在、副学長を務めるファニーさんは、上皇ご夫妻が訪問されたときは在学生で、同窓会を行うたびに当時の思い出話で盛り上がるという。
「(上皇ご夫妻が訪問されたときの)経験が常に残っていて、もし天皇陛下に何かお話しできる機会があれば、お礼を申し上げたい」と、今回の訪問を心待ちにしていた。
そして、学生達は両陛下をお迎えするに当たり、日本語を流ちょうに話すことができるよう練習を重ねてきたという。
大学4年生のアルルさんは日本語の“慣用句”をテーマにした卒業論文を執筆中。
陛下との対話では、「『水くさい』という言葉は、インドネシア人からすると文字通り『水が臭い』と感じる」と話し、「語源は水分が多いと味が薄くなるので、愛情が薄くなりよそよそしいことを意味します。日本語は奥深いと感じます」と話した。
これに対し、陛下は「テーマが面白いですね。私たちが当たり前のように使っている言葉も、突き詰めてみると不思議なものですね」と答え、皇后さまも「卒業論文、頑張ってください」とエールを送られた。
両陛下からは、「これからも日本語の深さをより一層学んでください」とも声をかけられ、「一生に一度あるか、ないかのチャンスなので、両陛下とお話しすることができて、貴重な経験をさせていただきました」と感激していた。
また、写真撮影後、陛下から日本の思い出の作品について聞かれた学生が、日本の人気アニメ『NARUTO(ナルト)』が好きだと話すと、「私は“徳仁(ナルヒト)”です」とユーモラスに話し、一同が和やかな笑いに包まれる場面もあった。
その後、陛下はあわてて「いや、関係はないんです」と笑顔で説明されていた。
両陛下が対話した学生達は、愛子さまと同世代の若者達。
皇后さまは、「これからも日本語を勉強して、(インドネシアと日本との)架け橋になってください」と優しく語り掛けていた。
両陛下は、学生達若い世代が中心となり、友好親善の絆が両国の明るい未来につながっていくことを願われている。
