社会・文化

ゴッホの「ひまわり」にトマトスープをかけた事件で考える日本人に欠如している“想像力”

環境活動家による抗議の犯行

10月14日にイギリスのロンドンにある美術館“ナショナル・ギャラリー”で起きた、ゴッホの名画「ひまわり」に2人の環境活動家がトマトスープをかけた事件。

2人の活動家は展示されていた「ひまわり」に近付き、手にしていた缶のトマトスープの中身を一気にかけた後、自分の手を壁に接着剤で張り付けたのだ。

犯行の際には、1人が「絵画と地球や人間の命を守ることと、どちらが大切なのか!」と叫んでいたという。

駆け付けた警察官に器物破損の疑いで逮捕されたこの2人の女性は、「ジャスト・ストップ・オイル(とにかく石油を止めろ)」という団体に所属している環境活動家。

気候変動対策が進まないことに対する抗議活動の一環として、このような犯行を行ったという。

「ひまわり」はガラスで保護されていたため、額縁が若干破損した程度で絵画自体は無事だった。

2人が所属する団体は、絵画を標的にしたことについて「市民社会が崩壊したら、芸術は何の役に立つのか。

芸術を楽しむ世界に生きたいなら、アーティストや芸術を愛する市民は、抗議活動に踏み出す必要がある」と語った。

この事件に限らず、有名な絵画を標的にして、気候変動対策の必要性を訴える抗議活動が、今ヨーロッパでは相次いで起きている。

今年の5月にはパリのルーブル美術館で、環境活動家と見られる男がダ・ビンチの名画「モナ・リザ」にケーキを塗りつけるという事件が起きている。

また、7月にはイタリアで、環境保護団体のメンバーが、ボッティチェリの「春」に接着剤を使って手を張り付けるという抗議活動を行った。

どちらの事件も絵画はガラスで覆われていたため、作品への被害はなかった。

抗議活動の一環だが、絵画は無事だ
抗議活動の一環だが、絵画は無事だ

1974年のモナ・リザ事件

120億円以上するゴッホの代表作に被害を及ぼしたこの事件には、SNSを中心に多くの批判の声が高まっている。

一連の事件は“エコテロリズム”と呼ばれ世界的な問題になっているが、日本でも大きく報じられた割には日本人の関心や反応はあまり高くないように感じられる。

経済思想家で東京大学大学院斎藤幸平准教授は、「日本人には、当事者が抱える問題を想像し、学ぶ力が欠けている」と指摘している。

どういうことなのだろうか。

今回の事件報道を受けて斎藤氏が思い浮かべたのは、1974年東京国立博物館にフランスから貸し出されて展示されていたダ・ビンチの名画「モナ・リザ」にスプレーをかけた事件。

スプレーをかけた米津和子は、混雑を理由として障害者や子連れが入場制限されたことに対して抗議するために犯行に及んだ。

障害をもっていた米津は、博物館で障害者が排除されることは自分自身の尊厳の問題であり、人間の尊厳の問題だったのだと斎藤氏は語る。

その場で逮捕された米津は、当時大きく世間を賑わせた。

神奈川県立美術館の土方定一館長は、「礼節のない人達ですね、主張があるなら、訴える方法はいくらでもあるのに、すぐ直接行動に出る精神の浅さを感じます」とのコメントを新聞に寄せている。

このコメントは、約50年後に起きた今回のゴッホの事件に照らし合わせてみても、全く違和感がない。

日本社会の価値観は、半世紀経っても全く変わっていないことの証明でもあるだろう。

「礼節のない人」で片づけて良いのだろうか
「礼節のない人」で片づけて良いのだろうか

イギリスと日本の意識の違い

イギリスの世論調査では、66%もの人達が、このような非暴力の直接行動に理解を示しているという。

一連の抗議活動は、ほとんどの人々にとっては自分の常識からは考えられない行動だとしても、一定の理解を示しているのだ。

このような感覚や反応は、日本人には理解できないだろう。

しかし、斎藤教授は、これこそが日本に蔓延している“想像力の欠如”だと指摘する。

米津も環境活動家達も、土方氏が言うように「礼節がなく、精神が浅いために直接的な行動」に出たわけではない。

「ひまわり」にスープをかけた活動家は、今までにデモや署名運動、政治家への嘆願など何年にも渡って地道に活動を続けてきた。

しかし、二酸化炭素の排出量は全く減っていない。

今後、各国が掲げる温室効果ガス排出削減目標が達成できたとしても、今世紀末までに2.6度も気温が上昇すると言われている。

つまり、科学者達が警告している1.5度という数値を大きく上回ってしまうことになるのだ。

もちろん、名画にスープをかけるなどという暴挙が許されるはずはないが、こうした現実に直面した絶望や更なる危機感が呼び起こした行動なのではないだろうか。

作品自体に傷が付かないことを理解した上で、罪を犯してまでもなんとか問題意識を伝えようとして及んだ犯行なのであろう。

にもかかわらず、ほとんどの日本人は気候の危機について関心ももたずに生活している。

日本人も、この事件をきっかけに、気候変動について知り、どう対処するべきか、自分達に何ができるのかということを、考えていく必要があるのではないだろうか。

自分に何ができるのだろうか
自分に何ができるのだろうか

日本人の創造力や学ぶ力が試されている

「名画と地球はどちらが美しいのか?」と問われたとき、なんと答えるだろう?

犯行に及んだ環境活動家は、「この広大な宇宙で、唯一これほどまでに多くの生命体が存在している地球の方が美しい」と考えている。

その美しくて大切な地球を守ろうともせず、たった1枚の絵画にとてつもなく高額な価格をつけて崇めている資本主義社会に警告を発しているのだ。

イギリスには、戦争に起因するインフレの影響でトマトスープを温める電気代も払えない人達がいるという。

環境活動家達は、自分達の個人的な主張をしているのではなく、このような弱くて声も出せない人達に代わって、リスクを冒してまでも声を出そうとしたのである。

イギリス人はそれを理解したからこそ、66%もの人達が理解を示したのであろう。

ほとんどの日本人はこのような現実を知らず、考えようとも学ぼうともしていない。

日本人は創造力や学ぶ力、考える力が欠如していると言われても仕方ない。

今回の事件に限らず、何か事件の報道がされたときに、対岸の火事だと思わず、その事件をきかっけに知ろうとする努力や学ぼうとする気持ち、考える力や創造力を駆使し、自分達に何ができるのか少しでも考えてみることが必要なのではないだろうか。

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