【追悼】阪神・淡路大震災27年たった午前5時46分に遺族ら黙とうを

27年前の今日、1月17日午前5時46分に阪神・淡路大震災が起こり、神戸市や淡路周辺に住む住民らは大きな被害を受けました。


そして今日、地震が発した午前5時46分に遺族らが犠牲者を悼み、震災時の記憶や教訓を伝えるため、各地で祈りが捧げられました。

カトリックたかとり教会

当時、キリスト像を除き全て火災で全焼したのち、ボランティア活動の活動拠点にもなった神戸市の長田区にある「カトリックたかとり教会」では神父僧侶、地元の人々など宗教や宗派、国籍を超えて様々な人々が参加しました。

日本人の神父、ベトナム人の神父らがそれぞれの言語で聖書の一節が読み上げられ、地震が起こった午前5時46分には全員で黙とうが捧げられました。


その後、僧侶がお経を読み上げている際に焼香が行われ、犠牲になった人たちに祈りが捧げられました。

震災時に教会で司祭であった神田神父は「残された私たちが思いを引き受け、前に向かって歩いていくという想いを込めて祈りを行った」と語る。

震災で多くの人が犠牲になった
阪神・淡路大震災では多くの人が突如犠牲になった

また、ベトナム出身であるハ・ティ・タン・ガさんは被災の直後に教会近くにあった学校に避難したとされるが当時の衝撃は忘れがたく、「辛い思いでもあるが、他のベトナムの人たちに自分の体験を伝えていき、語り継いでいきたい」と話した。

北淡震災記念公園

阪神・淡路大震災で起こった地震の震源地近くの「北淡震災記念公園」には犠牲になった人々の慰霊碑がたてられている。

その公園では遺族らや地元の人たちおよそ50人の人が集まり、淡路島で震災により命を落とした63人分の竹の灯籠を慰霊碑近くの水面に浮かべ、地震が起こった午前5時46分には慰霊碑の前で黙とうが行われました。

そして被災で亡くなった人たちの追悼とこれからの復興を願って「ふるさと」が合唱され、花が慰霊碑に捧げられました。

当時、義理の母を被災でなくした淡路市に住む女性は「無念だったろうと思う。今日ここに来たことで当時の記憶を決して忘れてはならないと思う」と述べた。


公園を管理し、阪神・淡路大震災で起こった出来事を後世に語り継ぐ活動を行っている米山総支配人は「時間が経つほどに、後世の人たちに伝えていくことの重要さを感じる」今後も震災の教訓や想いをつないでいきたいと話した。

決して忘れてはならない
27年前に起こった、この震災を私たちは決して忘れてはならない

追悼の祈り捧げるトランペット

神戸市を一望できる高台の公園では、地震が起こった午前5時46分に追悼の祈りをささげるトランペットが響き渡りました。


その高台にある公園は諏訪山公園という場所で、松平さん(79)は震災の犠牲になった人たちに向けてトランペットを吹いている。


この日も松平さんは地震が発生した午前5時46分に合わせ、童謡「どこかで春が」を演奏し、震災を経て復興してきた神戸の街をこれからも応援していいたいという想いを込めたと話した。

震災の記憶を次の世代の人たちにも

神戸市中央区の公園「東遊園地」では犠牲者を追悼する5000本もの竹や紙の灯籠が地震が起こった1月17日、「1.17」と忘れないの「忘」の形に並べられ、「忘れないように」、思い出すのが辛く「忘れたい」という人たちの想い、また、危機感を表す「忘れられてしまう」といった様々な意味が込められました。

遺族ら様々な想い

神戸須磨区の女性は「母と兄は震災の3日後、漏電による住宅火災で亡くなりました。ここに来ると亡くなった2人と話ができるように感じ、あの当時から毎年来ています。


なぜ火災で命を落としてしまったのか、とても悔しい。絶対に忘れることはできない」と話した。

神戸港震災メモリアルパーク
阪神・淡路大震災でメリケンパークも大きな被害を受けた

神戸市の東灘区に住む女性は震災で母を亡くした。「母は病院の中で私の手を握ったまま亡くなった。忘れられない。この日は私にとって1年の中で一番大切な日」

神戸市北区の女性は当時35歳だった弟を亡くしている。


「1月17日は弟の誕生日。真面目で優しかった弟はその後、亡くなった母親や父親と天国で会えていると思う」と語った。

神戸市灘区の男性は父親代わりだったおじさんを震災で亡くしたという。


「また、来たよ。忘れてないからね。と伝えに来た。あれから1日1日を大切に生きなければならないと思っている」と話した。

神戸市灘区の男性は震災で家の1階が潰れ、当時1歳2か月の長女と妻の母を亡くした。


毎年、4世代で追悼しに訪ね、今年も「あの時、助けてあげられなくて本当にすまなかった。家族も増えたけど、忘れることはない。見守っててと伝えに来た」と話した。

そして神戸市が主催する東遊園地では「追悼の集い」も開かれ、大阪に住みシンガーソングライターとして活動する田代作人さん(37)があいさつを行いました。


田代さんは震災が起こった10歳の時に田代さんの7歳上だったお姉さんを亡くしました。

「あの時が最後だったって、わかっていればもっとたくさん話をしたかった。もっと、わがままや迷惑もかけずに一緒にいたかったと後悔は尽きない。そしてあの日に、がれきの中から姉を運び出してくれた顔も名前も分からない、心温かい方たちには本当に心より感謝を申し上げます」と語った。

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