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箱根駅伝応援自粛 大人対応のフリーザ軍団、某議員とは大違い

今年も恒例の箱根駅伝、正式には東京箱根間往復大学駅伝競走が開催された。今年でなんと第98回目だ。

例年2日は往路で東京から箱根へ、3日は復路の箱根から東京へ、20大学によって駅伝が繰り広げられる。

そして、箱根駅伝恒例になっているのがコスプレをした集団、通称フリーザ軍団の沿路での応援だ。

しかし、今年は昨年に続き主催者側が応援自粛の要請したため、フリーザ軍団はおとなしく応援を自粛し、そのスマートな対応をほめたたえるコメントがネット上にあふれた。

箱根駅伝恒例のフリーザ集団って何者??

フリーザとは、アニメのドラゴンボールにでてくる架空キャラクターで、宇宙最強、宇宙の帝王と皆が恐れる悪役宇宙人である。

フリーザ軍団
フリーザ集団とは一体何者なのか!?

名前の由来は冷凍庫や冷凍室を示す英語フリーザー。

その姿はといえば、白をベースに頭、肩、腹、手足に紫が基本だ。

フリーザ集団のコスプレはその姿を模しているがなんとも手作り感いっぱいで、しかもこの寒空に関わらずかなりの薄着だ。

彼らは2011年以来、駅伝の7区である二宮のあたりに出現して、新年の風物詩として毎年話題になっていた。

当初この集団はかなり人目を引いたという。

しかし、異様さを放つコスチュームとは裏腹に、フリーザたちは選手や他の応援者の邪魔にならないよう配慮を施し、挨拶もきちんとするなどその評判はとても良いものだったというから、丁寧なところは実際のキャラを踏襲しているようだ。

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フリーザ集団は4人のメンバーで構成されていて、意外なことに普段の職業はサラリーマンだという。

メンバーは皆地元で育った幼馴染で、小学校、中学校ともこの二宮で学んだ仲間だそうだ。

今では地元を離れてサラリーマンをしている。だが、お正月のこの時期は皆必ず帰省するので、それに合わせて地元を盛り上げるために何かやらないかということになり、フリーザ集団が生まれたという。

最初はマイケルジャクソンや、スタジオジブリの映画「千と千尋の神隠し」にでてくるカオナシなんかのコスプレも試したものの、結局フリーザに落ち着いたという。

このコスプレでの応援は1月2日に予行演習まで行うというから、なかなか念入りだ。

今までにこのコスプレで前の年に流行した歌やドラマの踊りをしながら駅伝の選手を応援し続けた。今までに、『USA』『にゃんこスター』『恋ダンス』『パプリカ』などのダンスを、派手な音楽をかけるわけでもなく黙々と踊って選手を応援し、終われば速やかに撤収。

そして駅伝が終わればフリーザ集団のファンの記念撮影や握手といったリクエストにも気軽に応じてくれているということで、このような態度も人気上昇の大きな要素となったようだ。

白熱する箱根駅伝
毎年、白熱する箱根駅伝が始まった

自粛要請を無視する観戦者が増える中でフリーザ集団は…

新型コロナウイルスの蔓延で前回の2021年の箱根駅伝では大会の主催者が観戦者に自粛を呼びかけたため、このフリーザ軍団は呼びかけに従って7区二宮に出現することはなかった。

2019年からフリーザ集団に加えてもらったというシャケーザさんによると、シャケーザさんは自分の判断で2021年も沿道での応援は自粛し、その代わりライブ配信で応援を継続した。

そして、フリーザ集団からの声明はでていないものの、今年もその姿が沿道に見えなかったことから、主催者側の要請を受け入れて自粛したとみられている。

主催者側が新型ウイルス感染防止のために沿道での自粛を呼び掛けている一方、沿道には多数の人が詰めかけたため密集が発生。

応援者のマナーの悪さも指摘されており、自粛とは程遠い結果になってしまった。

だからだろうか、降臨が期待されていたフリーザ集団が自粛したことが逆に好意的に受け止められて、ネット上ではその大人対応、良いお手本をほめたたえる声があふれた。

一方で有名人なのに残念ながらお手本になれなかった人もいるようだ。

2日の往路では青山学院大学が優勝した。

主催者側が沿道での応援や観戦を控えるように呼び掛けるなかで、立憲民主党蓮舫参議院議員がどうやら母校の青学大の応援に出向いていたらしきことが、同氏のツイッターで発覚して批判が集まっている。

蓮舫参院議員は自らのツイッターで第5区を走る青学大の若林宏樹選手の画像とともに、5区がんばれ、母校との投稿をした。

その画像が5区の沿道から撮影されたもののようだったのである。

これに対して蓮舫参院議員は沈黙を続けている。

箱根駅伝がスタート
箱根駅伝のはじまりとは・・・

箱根駅伝のはじまり

箱根駅伝は正式には東京箱根間往復大学駅伝競走といわれ、1920年(大正9年)から始まった。

主催者は関東学生陸上競技連盟(関東学連)で、共催が読売新聞社である。

テレビ中継は1987年(昭和62年)から始まった。

箱根駅伝の公式サイトによると、原動力となったのは、日本人初オリンピック出場者でマラソンの父である金栗四三が持っていた世界に通用するランナーの育成に対する思いだったようだ。

そこで、1917年(大正6年)日本初の駅伝、東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」が行われた。

これは京都の三条大橋と東京の上野不忍池の間の競走で、三日間にわたって昼夜をとおして走り継がれたリレーだった。

これが成功裏に終わり、箱根駅伝の原型になった。

そして、金栗四三たちが大学、師範学校、専門学校に駅伝創設の意義を説いて回り参加を呼びかけ、1920年の第1回大会が四大校駅伝競走の名前で開催されることとなった。

この時の四大校は早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学と東京高等師範学校(現在の筑波大学)であった。

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