聴覚障害のある女児が重機で死亡した事故をめぐる損害賠償訴訟「全労働者の85%の認定」
生涯得られる利益は全労働者の85%との認定
2018年に聴覚障害のある女の子が重機にはねられて死亡した事故で、女の子の両親らが運転手に対して2020年に損害賠償を求めて訴えを起こした裁判の判決が、2023年2月27日に言い渡された。
大阪地裁は、将来得られるはずだった収入(逸失利益)を全労働者の85%と認定。
運転手らに合計約3800万円の賠償を命じた。
聴覚に障害がある井出安優香さん(当時11歳)は5年前、大阪生野区で下校中、事故に遭った。
重機の運転手は、刑事裁判で“てんかん”の持病を隠して重機を運転していたことが判明し、既に懲役7年の実刑判決が確定している。
今回の裁判の争点になっていたのは、逸失利益が障害を理由に減額されるかどうかという点。
両親側は全労働者の平均賃金から算出するよう求めていたが、被告側は聴覚障害者の平均賃金をベースにすべきだとの主張をしていた。
聴覚障害者の平均賃金は、全労働者の約6割。
大阪地裁は、「被害者には、将来さまざまな就労の可能性があったと言える」とした。
しかし「聴力障害は労働力に影響がない程度のものであったということはできない」とし、全労働者賃金の85%を基礎収入とすることが相当であると判断したものだ。
安優香さんの両親は悔しさと怒りを明かした。
父親の努さんは「なんでそこまで娘や娘の努力を否定されなきゃいけないのか、悔しくてたまらないです」と話す。
判決の「被害者には、将来さまざまな可能性があった」という部分は評価する。
しかし、全労働者の平均賃金の85%という逸失利益について「納得することはできない。
結局、裁判所は差別を認めた」と語った。
そして、母親のさつ美さんは「どんなに努力しても、ただ聴覚に障害をもっているだけで、その子の人生を否定されないといけないんですか」と訴えた。
「娘は努力に努力を重ねて11年間生きてきた。
それは無駄だったのか」と無念の思いも口にしている。
努さんは「まだまだ障害者の方達が生きにくい社会というのは変わらない」と話す。
弁護士らも「承認しかねる」とし、「これまで聴覚障害がある方の逸失利益を争った判例はほとんどない」という。
過去の判例では、視覚障害がある女子高生(当時)が交通事故に遭い、脳機能障害などが残り損害賠償を求めた裁判で、広島高裁は全労働者の平均賃金の8割に相当する判断をした例がある。
広島高裁は「障害のない人と比べて、差があると言わざるを得ない」とし、「今後の社会情勢や技術の革新を踏まえて判断を下した」としていた。
安優香さんの小学校の担任2人は、裁判の中で「聴力と学力のレベルは関係ない」と証言していたが、健常者と同じ水準と認められることはなかった。

障害者の可能性を否定?
判決を受けて、作家の乙武洋匡氏はTwitterを更新。
判決を伝える報道を引用し、「裁判所が『聞こえない人』の価値を、『聞こえる人』の85%だと判断しました。
たとえばエンジニアなど、健聴者と遜色なく働ける職種や環境も整ってきてるのにね。
障害者の『可能性』を裁判所に否定されるなんて悔しいよ」とのツイートを投稿した。
安優香さんは生まれた当初、医師から「言葉を話すことは難しい」と言われたが、両親に支えられながら懸命に努力し、人前でも堂々と話せるようになった。
地元から遠い生野区の聴覚支援学校に入学したのは、将来就職して自立することを目指して専門的な訓練を受けるためだったという。
両親は裁判で安優香さんが勉強していたノートなどを提出し、学力の立証に努めてきた。
安優香さんは補聴器を着ければ人とのコミュニケーションは十分に取れており、裁判所も「安優香さんが慣れた環境においては、問題なくコミュニケーションが取れた」と認めている。
「学力も、学年相応のものがあった」という両親の主張も、「支障はなかった」と認められている。
しかし、労災保険や自賠責に関わる法律などに定められているということも減額された理由の1つ。
両親の弁護団の中には聴覚障害がある弁護士もいたが、手話や音声を文字化するアプリを使い、スムーズに弁護を行っていた。
それでも、両親の主張が認められることはなかった。
両親は「安優香さんだけではなく、全ての聴覚障害者のために戦う」と話していたが今回の判決を受け、今後控訴するかどうかについては「弁護士と相談します」と話すにとどめている。

健常者の水準に近づいてはいるが同等ではない現状
障害者の逸失利益を巡り、近年は障害者雇用の推進やITの発展向上などにより、就労環境が改善され、健常者に近い形で認められる司法判断が増えている。
逸失利益は“命の価値”
にも例えられ、重い障害を負った人や交通事故で亡くなった人が将来得られたはずの収入を示し、損害賠償額を算出する際に重要。
安優香さんのように就労していない子どものケースでは、就労可能な年数を考慮して算出されることが多く、障害児は健常者よりも低く認定される。
2021年には、交通事故で亡くなった聴覚障害のある大学生に、逸失利益を大卒男性の平均年収の約9割相当と判断したケースがある。
このケースでは、聴覚障害がある以上、職業選択の幅に一定の制約があったとしつつも、同じ大学の出身者が大企業などに就職敷いていること、IT機器の発達により就労環境の整備が期待されることなどが考慮されていた。
10年前を比較すると、逸失利益の算出方法が健常者の水準に近づいてはいるが、まだ同等にはなっていないことが問題。
「裁判所は差別や偏見を払拭する判断を進んで示すべきだった」と指摘する専門家もいる。
