芸能

親に振り回された?神田沙也加さんの人生前半期

昨年12月18日にミュージカル公演のため訪れていた北海道で、滞在していたホテルの部屋から転落、雪に埋もれてなくなっているのが発見された神田沙也加さん。

その後、部屋には書き置きが残されており、そこには自身ののどの不調にかかる手術への不安や、交際していた共演者への思いなどが自分の言葉でつづられていた。

21日には父親の神田正輝さんと母の松田聖子さんが北海道入りして沙也加さんの密葬を済ませ、悲しみの中報道陣の取材に応じ、しばらくの間はそっとしてほしいというコメントを述べた。

その後、神田沙也加さんの交際相手だった共演者前山剛久さんが他の女性と沙也加さんと二股交際をしていたという疑惑が発覚し、なんとも悲しい年末のニュースとなった。

そこで、神田沙也加さんを偲び、彼女の生い立ちと人生の前半期を振り返ってみたい。

出産は24時間厳重警戒体制

沙也加さんの誕生
沙也加さんは神田正輝さんと松田聖子さんの間に生まれた※写真はイメージです

神田沙也加さんは1986年(昭和61年)に、俳優の神田正輝さんを父に、歌手の松田聖子さんを母に、東京の飯田橋にある東京逓信病院で生まれた。

その時母親の松田聖子さんはアイドルとして頂点にいた。

なので、沙也加さんが生まれればマスコミが殺到し、病院が大変なことになるということで、聖子さん所属のレコード会社の上層部はスタッフに重大な通達を下していたという。

それは、様々な手段を使って生まれた赤ちゃんの写真を撮りに来るマスコミを完全に防ぐという24時間体制の警備の命令だった。

変装して入り込むことも想定にいれ、病室に近づくものはすべて疑うというほどの厳重な警戒体制だったそうだ。

その時警備にあたっていたレコード会社のスタッフは、出産時の聖子さん親子は本当に幸せそうだったと言っていたという。

昨年12月19日、俳優のムロツヨシは沙也加さんの名前は石原裕次郎の命名である、と両親と石原まき子さんに見守られる中、石原裕次郎に抱かれる赤ちゃんの沙也加さんの写真を付けてツイートしている。

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幼いころ沙也加さんは世田谷区砧の家で育った。

この家は聖子さんが20代前半で購入した豪邸で、聖子さんが自分の両親にプレゼントしたものだ。

芸能界で多忙極まる両親に代わって母方の祖母とここで幼少期を過ごしたようだ。

沙也加さんは世田谷区にある私立聖ドミニコ学園小学校で学び、1999年3月に卒業している。

ここは男女共学のカトリック系ミッションスクールで、1年生から英語とフランス語の授業や、週1回宗教授業がある。

カトリック系とはいえ、カトリック信者の児童は全体の1割。児童の持つ感情や思考の自由な表現を重視しているというから、沙也加さんの豊かな表現力のベースはここで培われたのかもしれない。

人生の歯車の狂い始めは両親の離婚

しかし、沙也加さんが10歳の時に両親が離婚、母親と暮らすことになった。

沙也加さんの両親の離婚についての原因はいろいろと噂さされているものの、当時は離婚の理由や夫婦の関係については公表されていなかった。

のちに、じつは聖子さんの度重なる不倫や浮気が原因だったという話がでている。

沙也加さんが生まれたあと、聖子さんはアメリカ進出を目指し、家族を置いてしばしばアメリカに渡っていたそうだ。

その時に近藤真彦さんと密会していたことがスクープされている。

また、1990年には英会話の先生ジェフ・ニコルスさんと不倫関係にあったということだ。ジェフ・ニコルスさんはその後聖子さんとの関係についての暴露本を出版している。

沙也加さんが小学校を卒業したあと、私立の中高一貫校へ進学する予定だった。

しかし母親の聖子さんはアメリカに拠点を移すことを決め、同時に歯科医だった波多野浩之さんと再婚を予定していた。

波多野さんは沙也加さんの担当歯科医だった。母と新しく父親になる人とアメリカに渡るかの決断をせまられた沙也加さん。

結局日本に残る選択をした。

中学時代に受けた壮絶ないじめ
沙也加さんは中学時代に壮絶ないじめを受けていた※写真はイメージです

壮絶ないじめと4回の転校

そこで全寮制の暁星国際中学に進学することになる。

しかしこの学校で沙也加さんは壮絶ないじめを体験することになった。

2015年に発表した著書「Dolllygirl」の中で、寮生活でのいじめを告白している。

たとえば、他の生徒が沙也加さんの下着を盗み、皆の前で見せて沙也加さんをさらし者にしてみたり、就寝時に自分の布団が水でびしょびしょにぬらされていて寝ることができなかった、などだ。

有名芸能人の娘ということで周囲からはやっかみが絶えなかったのだろう。

その後寮を出て通学するようになってもいじめはなくなることがなかったという。

一度都内の中学に転入後、聖子さんが住むロサンゼルスに移り日本人学校に編入した。

しかしその時は英語がわからず馴染めなかったという。

また、聖子さんが仕事で家を空けることが多く、聖子さんの再婚相手の波多野さんと過ごす時間が多くなり、その生活を耐えがたく思った沙也加さんんは日本へ帰国、中学3年で千代田女学院中学校に転入しそこを卒業した。

中学の転校は全部で4回にわたった。

初めてできた親友
高校時代には親友が初めてできた※写真はイメージです

親友ができた高校時代

高校はそのままエスカレーター式に千代田女学院高等学校へ内部進学する。

ここでは親友となる声優で歌手の三森すずこさんと出会っている。

壮絶な中学生生活を送ってきた沙也加さんにとって、心通じる友人がいるこの学校は心休まる場所だったことだろう。

そんな中で、沙也加さんは自分の才能を伸ばすことになる。

それが、高校1年の時、シングルアルバム「ever since」リリースでの歌手デビューであった。

しかし、親友と出会ったその高校も芸能活動との両立が難しくなり転校、卒業したのは通信制の東海大学付属望星高校である。

以上が駆け足でたどってみた沙也加さんの生い立ちから幼少期、小学校、中学校、高校までの人生前半の歴史である。

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