三浦知良がポルトガル2部へ期限付き移籍延長
サッカーのポルトガル2部のオリベイレンセは7月11日、元日本代表FW三浦知良(56)の期限付き移籍の延長を発表した。
保有元はJ1の横浜FC。
昨シーズンもオリベイレンセでプレーし、4月にはポルトガルリーグの最年長出場記録を更新していた。

56歳でポルトガルの最年長出場記録
カズがプレーする場所として選んだのはポルトガルのクラブだった。
「僕を受け入れてくれたチーム、こういう環境へと導いてくれたすべての人に感謝します。
前季の4カ月で、ポルトガルのサッカー文化の素晴らしさ、オリベイレンセというチームのレベルの高さを知っていただけに、もう一度あの中に身を置けると思うとわくわくします」
再びポルトガルでプレーする喜びを率直に表現した。
昨シーズンは2月にオリベイレンセに加入し、3試合に出場、約40分プレーした。
出場機会は限られたが、56歳になる年に新天地のポルトガルでサッカーを続けることが、自身の財産になるという思いで海外で練習を重ねていたという。
2022年はJFL(日本フットボールリーグ)の鈴鹿ポイントゲッターズに所属。
兄の三浦泰年が監督兼GMを務めるクラブに期限付き移籍した。
JFL開幕戦から先発出場を果たしたものの、JリーグとJFLの環境面の違いから体への負担も大きく、右太ももを負傷。
9月に復帰すると、10月の試合ではPKでゴールも記録。
11月には流れの中からダイビングヘッドでゴールを決め、
JFLの最年長出場記録と最年長得点記録を55歳259日に更新した。
10月はPKでの得点だったが、カズにとっては思い入れのあるゴールだったという。
その1本のために毎日準備してきたからだ。
ここ5、6年はチームの全体練習が終わった後、必ずPKの自主練習をしてきたという。
20歳以上も年が離れたGKに付き合ってもらい、必ず3本は実戦を想定したPKを蹴ってきた。
そして、やっと訪れたチャンスを決めた。
「10年間、公式の試合でのPKはこの1本。
与えられたPKはこの1本。
それが人生なんです。
これだけのものを得るためには、これだけのことをやらないと得られない。
PKは僕にとっては人生と同じなんですよ。
流れの中で入れた1点となんら変わらない。
何千本も何万本も蹴ってきてチャンスは1回」とカズは言う。

還暦までのプレーも現実味帯びる
オリベイレンセは、横浜FCの親会社が経営権を持つ。
そうした事情もあり、カズの移籍が実現している部分もあるが、サッカーへの情熱は衰えない。
横浜FCからの期限付き移籍延長に向けた発表も、背番号11へのこだわりから、ポルトガル時間で午前11時11分に発表された。
常々、還暦までプレーしたいとカズは語ってきた。
初めは冗談を含んだ部分もあったと思われるが、現在56歳。
少しずつ現実味を帯びてきた。
「還暦とかは本当に考えてなかった。
実際、もう50歳のときとも全然身体は違います。
一日一日で変わるし、明日、1週間後、どうなっているんだろうといつも思っている」
怪我をしてしまうと、若い頃と比べてリハビリにかかる期間がどうしても長くなるという。
昔であれば、2週間で治せた怪我が4週間かかることもある。
「老いはもう誤魔化しようがないくらい着実に忍び寄ってきている」
そう感じる部分はあるが、サッカーを楽しいと感じる気持ちはいつまでも変わらない。
ポルトガルでも練習でイメージ通りのゴールを決められると、まだまだできると感じる。
試合でも同じように左足で強いキックを蹴りたい、ワンツーからゴールを取りたいという欲が強くなっていくという。
ブラジル留学から海外5カ国でプレー
カズは静岡市で生まれ育ち、静岡学園高校を1年の時に中退してブラジルにサッカー留学した。
1986年にはサントスとプロ契約を結んでデビュー。
ウイングとして活躍し、Jリーグ発足へ向けて1990年に読売クラブへ移籍すると、ヴェルディ川崎で1993年のJリーグ初代MVPに輝いた。
1994年にイタリアのジェノアへ移籍し、アジア人で初めてのセリエAプレーヤーに。
その後もクロアチア、オーストラリアなどでプレーし、海外リーグは5カ国を経験した。
日本代表としての国際Aマッチの通算は89試合、55得点。
ポルトガルでの新シーズンは8月に開幕する。
カズがどこまでサッカーを続けるのか、しっかりと見届けたい。
