森氏「コネ」で大学進学、就職が判明! 五輪スポンサー選定にもゴリ押しか!?
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森喜朗氏は首相時代から失言が多く、永田町では「失言大魔王」という呼び名もあったらしい。
今回文春オンラインにより、早稲田大学への裏口入学や、産経新聞にコネで入社していたことが判明した。
しかも、これらはすでに自著として書かれ、世に出版されていたのだ。
そのうえ、その自著の中には、裏口入学が発覚して大学が騒ぎになったことが書かれていたが、そのことに対して当の本人は爆笑していたとは…

学校から「早稲田は無理ですよ」
森氏の父はかつて学校から「あなたの息子さんは早稲田は無理ですよ」と言われた。
「父は反発した。『こうなったら仕方がない。意地でも喜朗を早稲田に入れてやる』と言い、早稲田ラグビー部監督・大西鐵之祐先生への紹介状を書いてくれた。」
(『私の履歴書 森喜朗回顧録』日本経済新聞出版社)
当時、進学できる者はわずか。
その中で、裏口入学は何も珍しいことでは無かった時代。
森氏の父親は町長で、早稲田大学の元ラグビー部員だった。
ここで一般枠ではない「コネ枠」が使われた。
こうして無事、早稲田大学に進学できたのだが、「コネ枠」の元になったラグビー部を、4カ月で辞めてしまった。
しかし、こんな経緯を辿った森氏だが、こんな矛盾する発言もあった。
「途中で投げ出したらそれこそラグビーの敢闘精神に反する」(『遺書 東京五輪への覚悟』幻冬舎)

「試験は絶対に受けない」就職時に「コネ枠」再び
森喜朗青年は大学生のころから政治家になりたいと思っていた。
その前準備として、新聞社に勤めることを思い描いていた。
「私の成績で新聞社に入るのは相当困難なことも事実であった。」
『私の履歴書 森喜朗回顧録』
「コネ枠」は再び登場。就職についても「コネ枠」は珍しいことではなかった当時。
大学生時代、政治運動で出会った議員に「産経新聞の水野成夫君を紹介してあげよう」と言われる。
しかし、ここで危機が訪れる。
人事の担当者に「水野社長はそう言ったかもしれないが、うちは新人の採用予定はない」と言われてしまった。
しかし、ここでめげない。
「試験は絶対に受けない」と言い返した。
それでも、担当者は「試験を受けないと採用しない」と攻防戦。
結局、森青年は試験を受けたが「白紙の答案を出し、最後に『天下の水野社長は前途有為な青年をつぶしてはならない』と書き加えた。」

なんと自著に書いて出版済み
「コネ枠」を使った早稲田大学入学や、産経新聞就職について、なんと自著の『私の履歴書 森喜朗回顧録』に書かれているのだ。日経新聞に連載されていた当時はどんな反響があったのだろうか。今ではこの内容を連載するなどあり得ないような話ばかりだ。
ある本には、裏口入学が発覚して問題になったことに対し、こう書かれている。
「日経新聞の『私の履歴書』でも、ぼくが勉強もしないで入学したということになっていて、大学が大騒ぎした(爆笑)。」
なんと、この騒ぎに対して爆笑していたのだ。
これまでの問題発言
爆弾発言が続く森氏だが、これまでに問題になった発言について主なものを挙げた。
- 「子どもを一人もつくらない女性の面倒を、税金でみなさいというのはおかしい」
(鹿児島市で開かれた討論会で)
- 「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶ」
(浅田真央選手について講演で)
- 「女性がたくさん入ってる理事会は時間がかかる」
(日本オリンピック委員会の臨時評議会で)
永田町では「失言大魔王」という呼び名があったそうだが、今回五輪のスポンサー選定について、森氏の発言が注目されている。私見をゴリ押しした可能性もあるとみられているのだ。

「サメの脳みそ」と言われたことが影響したのか
先週、KADOKAWAの会長、角川歴彦氏が贈賄容疑で逮捕されたと報じられた。
そして今、当時五輪組織員会会長だった森氏が、スポンサー選定の際に「講談社は絶対認めない」と言ったとして注目されている。
講談社はスポンサー契約を巡って、KADOKAWAとライバルになっていた。
森氏は過去に講談社から「サメの脳みそ」と呼ばれ、スキャンダルを報道されてきた。
それらを許せなかったとのこと。
もし、講談社をスポンサーに選定するなら「辞めようと思う」と、自身の進退を話したというほど受け入れられないことだった。
その森氏の意思が反映されたのか、結果はKADOKAWAが選ばれた。そのKADOKAWAの汚職が判明し、裏では何が起こっていたのか注目されている。
もし、森氏の私見が通っていたのなら大問題だ。
組織ぐるみの問題だったのか、KADOKAWAが単独で押し切ったのか。これからの捜査により、どんな因果関係があったのか明らかになっていくだろう。
