テニスのナダルが来季で引退意向 「赤土の王者」
男子テニスの世界四大大会で史上最多タイの通算22勝を誇るラファエル・ナダル(36)が5月18日、来シーズンで現役を引退する意向を示した。
自身のテニスアカデミーで記者会見を開き、「コロナ禍明けから、怪我が治らずに思ったようなプレーができていない。来年が現役最後の年になる」と語った。
最近は怪我に悩まされ、28日に開幕する全仏オープンも欠場が決まっている。
「赤土の王者」の異名を持つスペイン人がラケットを置くこととなる。

初めて全仏を欠場 怪我に悩む
36歳となったナダルの体は限界に達した。
1月の全豪オープンではまさかの2回戦でストレート負け。
大会後に検査を受け、股関節の負傷で全治6~8週間と発表した。
その後に怪我が回復せず、ツアーからも離脱したため、世界ランキングは約18年ぶりにトップ10から外れた。
昨年優勝した全仏オープンでの復帰を目指していたが、かなわなかった。
ナダルはクレーコート(土)で無類の強さを誇り、レッドクレーの全仏では驚異的なプレーを見せてきた。
2005年全仏は19歳で初出場初優勝を達成。
昨年まで18回出場し、14度も優勝してきた。
全仏では一度の試合前棄権を除くと通算112勝3敗で、勝率は97%と圧倒的な数字を持っている。
今年は2005年以降で初めての欠場となってしまった。
ナダルは「できる限りの努力をしてきたが、試合の準備ができていない」と現状を説明した。

フェデラー、ジョコビッチとビッグ3の一角
ナダルはスペインのマジョルカ島出身。
1986年に生まれ、幼い頃はテニスと共にサッカーもプレーしていた。
サッカーの元スペイン代表ディフェンダーのミゲル・アンヘル・ナダルを叔父に持つ。
15歳だった2001年にテニスのプロに転向。
2003年4月に16歳10ヵ月で世界ランクトップ100に入り、2003年8月には17歳2ヵ月で世界ランクトップ50に入った。
そして、2005年に初出場した全仏で19歳2日の若さでグランドスラム初優勝を飾った。
2005年7月には世界ランクがロジャー・フェデラーに次ぐ2位にまで上がった。
ナダルは身長185センチの左利き。
ベースライン後方でフットワークを生かして粘り強く球を拾うテニスが持ち味で、強烈なフォアハンドが武器。
そのため、球足が遅いクレーコートに強い。
ただ、ランキングを上げてからは上位の選手たちと戦うためにプレースタイルの幅を広げ、前に出るタイミングも模索。
クレー以外の四大大会も制覇するまでに進化していった。
2008年に芝のウィンブルドンで初優勝。
5連覇中だったフェデラーと決勝を戦い、4時間48分の決勝史上最長の激闘を制した。
北京オリンピックでは男子シングルスを制し、スペイン人選手として初めてテニス競技の金メダリストとなった。
2008年8月にナダルは初めて世界ランキング1位となり、フェデラーが継続していた世界ランク1位の連続保持の世界最長記録を237週で止めた。
2009年に全豪オープン優勝、2010年に全米オープン優勝を果たし、四大大会制覇の「キャリア・ゴールデンスラム」を達成した。
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、ダブルスでマルク・ロペスと組んで金メダルを獲得。
2020年には全仏4連覇や全仏通算100勝、グランドスラム通算20勝、シングルスでは史上4人目の通算1000勝など数々の記録を作った。
ナダルとフェデラー、ノバク・ジョコビッチ、アンディ・マリーはビッグ4と称され、全員がグランドスラム達成者で名勝負を繰り広げてきた。
マリー以外の3人はキャリアグランドスラムを達成していてビッグ3とも呼ばれる。

レアル・マドリード好き 引退後は会長も?
ナダルは叔父が元サッカー選手で自身も幼い頃にプレーしていたことからサッカー好きで、レアル・マドリードのファン。
度々、現地で観戦する姿が目撃され、試合前のセレモニーに登場したこともある。
過去にナダルは「もし、レアル・マドリードの会長を任されるとしたら、僕は自ら進んで会長職に就きたいね」と語ったこともある。
引退後にどのような道に進むかも楽しみだが、怪我が治ればあと1年はナダルがプレーする姿を見られる。
