旧国宝の刀がオーストリアで見つかる!?戦後GHQ接収で所在不明に
かつては国宝に指定され、戦後GHQによって接収され所在不明となっていた鹿児島県の神宮の刀と特徴が一致する刀がオーストリアで見つかりました。
NHKの取材に応じた所有者は将来には刀を返還する意向を示したほか、文化庁は「おそらく本物だと考えており、非常に喜ばしい」とコメントした。
戦前は鹿児島県霧島市神宮に奉納され国宝に指定されていた「刀 無銘則重」は戦後、GHQによって接収され、その後所在が不明となっていました。
この刀を現在所有しているのは、オーストラリアに住み愛刀家であるイアン・ブルックスさんだ。
ブルックスさんは4年前にインターネットのオークションで購入し、刀の特徴が一致していることに気づき、調査を始めました。
調査の結果、刀の長さやつばに彫られた銘が一致したほか、さやにあるラベルには判読不明な2文字に続いて、「・・島神宮」という文字があることが判明しました。
さらに鹿児島神宮に直接確認したところ、ラベルに記載されていた文字には「三二」、「八一」という数字が神宮に残されていた目録とも一致したとのことです。
この刀の持ち主であるブルックスさんは取材に対し、「自分が死んだあと、この刀は元々あった鹿児島神宮に返還したい」と語った。
文化庁は「実物はまだ見ていないが、特徴が一致していることからも、おそらく『刀 無銘則重』だと考えており、今回の発見については非常に喜ばしいこと。所有者の求めに応じ、本物かどうか確認したり、返還の際に調整したりしたい」とコメントした。
遺言状で刀が鹿児島神宮に戻ることが確実になるように
オーストラリアのメルボルンに住む弁護士であるイアン・ブルックスさんはオーストリアで放送されていた日本のテレビ番組で侍が使う日本刀に興味を持ち、これまでも50本ほどの刀をコレクションしている愛刀家で地元紙にも刀に関する記事の掲載を行ってきました。
4年前ほどにネットオークションで手に入れたという今回の刀も、見つけた際にはこれまでに見てきた刀の中で最も優れた刀だと確信し、5300ドルほど、日本円でおよそ60万円で落札したとのことです。
ブルックスさんは「元の所有者は年齢などを考えると、かつて軍に所属しており、そのままアメリカに持ち帰ったのかもしれない」とし、現在詳しい情報を得ようと私立探偵を雇い、調べているということです。
ブルックスさんは今回の発見について、「大変幸運だった。刀の質もとてもよく、手元に届いたときはとてもうれしかった」と話しました。
当時GHQの接収について、「アメリカ側も刀など重要な文化財にあたるものは日本に残すようしてたと思うが、コミュニケーションが不足していたのかもしれない。重要な文化財が国外に出てしまったことは残念なことだが、徐々に返還されているものもある」と述べました。
今回の刀の返還については、「現在、私は66歳で生きている間は持っていたいが、私が死んだあとは鹿児島神宮に返還されるよう遺言状に残した」とし、「鹿児島神宮もいつか訪れたい」と述べた。
重要文化財の所在不明は142件にのぼる
文化財保護法により戦前、国宝とされていたものはすべて重要文化財にあたり、さらにその中で価値が高いものは国宝に位置付けられている。
文化庁によると、現在所在不明となっている重要文化財は142件にものぼり、その中でも刀剣に関しては72件も占めていることがわかっています。
戦後GHQによって日本の武装解除の一環として各地で行われた刀の接収に伴い、所在が分からなくなったものもあり、特に鹿児島県内の旧国宝級の刀5件のうち、4件の行方が一時わからなくなりました。
現在では、鹿児島市照国神社に奉納され、国宝にも指定されている「太刀 銘 国宗」など2つは県内に戻されています。
文化庁は「無銘則重」と特徴が一致する刀がオーストラリアで見つかったことを把握しており、今後の対応を検討しているとされています。
則重
則重(のりしげ)は、鎌倉時代末期、越中国婦負郡呉服郷(現在の富山県富山市五福)の刀工である。
古来より、正宗十哲の1人に数えられており、正宗の弟分として知れ渡ってきたが、作風や時代姿などから、新藤五国光や藤三郎行光に師事した兄弟弟子の中でも、兄弟子であるだろうとも推測されています。
正宗と比較して大和伝の作風が強いのが特徴で相州伝上工の一人であり、加えて郷義弘の師としてみられている。
太刀、短刀が多く、太刀は鎌倉末期の姿となり、特に踏ん張りや腰反りがつくこと、先にいき伏せごころのない、切り先が伸びた姿のものも多いとされている。