悲しみが広がるオリビア・ニュートン・ジョン死去
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Instagramで、親族による報告
またしても悲しいニュースが入ってきた。
8日、歌手で女優のオリビア・ニュートン・ジョンの親族がオリビアのInstagramを更新し、米カリフォルニアで死去したことを報告。
73歳だった。Instagramの投稿では生前のオリビアが白い衣装を身につけ、輝くような笑顔で写った写真とともに、「今朝、南カリフォルニアの牧場で、家族や友人に囲まれて安らかに亡くなった」と投稿。
「オリビアは30年以上乳がんとの旅を続けてきた」とも綴られ、「勝利と希望の象徴だった」「彼女の癒しのインスピレーションと植物医学でのパイオニア的な経験は、植物医学とがんの研究に専念した、オリビア・ニュートン・ジョン基金で継続」するとしている。
突然の訃報に、日本でも悲しみが広がっている。

多方面で活躍した大スター
もしかすると若い人の中には「誰?」と思う人も多いのかもしれないが、中高年の人達の中では、数多くの海外のスターの中でもなじみのある存在だったことだろう。
オリビアを語るとき、『そよ風の誘惑』や『フィジカル』などの数多くのヒット曲とともに歌手として紹介されることもあれば、『グリース』や『ザナドゥ』などの主演映画とともにミュージカル女優としての活躍を伝えるものもある。
熱心な環境保護活動やユニセフの親善大使、そして乳がんを患ってからはがん啓発活動にも力を入れるなど、多方面で活躍していたことでも知られ、歌手と女優で大成功を収め、社会活動にも熱心に取り組んだ先駆者的な存在だったと言える。
最近では、2015年には東日本大震災の被災地、福島県で被災者を追悼したコンサートを開催。
また、昨年(2021年)の秋には日本政府より「日本国の音楽文化の発展及び友好親善に寄与した功」により、旭日小綬章を受賞したことが記憶に新しい。
そして、今やスタンダードとなっている、尾崎亜美が作詞・作曲を務めた杏里のデビュー曲『オリビアを聴きながら』のオリビアとして、名前だけ知っているという人もいるかもしれない。
まさに、日本でも有名な大スターである。

歌手としてのオリビア
オリビアは1948年イギリスのケンブリッジで生まれた。
父親はケンブリッジ大学のドイツ語教授で、母方の祖父はノーベル賞を受賞した物理学者マックス・ボルン。オリビアが5歳のとき、父がオーストラリアの大学で勤務するため、家族でオーストラリアに移住。
14歳で友達と組んだバンドで、バーなどでライブを行い、1965年に出演したオーディション番組で優勝し、翌年10代で歌手デビュー。
最初はイギリスの人気シンガー、クリフ・リチャードのバック・コーラスなどで下積みを積み、1970年には映画に初主演。
その後、徐々に人気を獲得し、『愛の告白』(1974年)で全米1位を獲得。グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞を受賞。
1975年にアメリカに移住し、『そよ風の誘惑』(1975年)などヒットを連発。『そよ風の誘惑』は日本のコマーシャルにも起用されていたので、聴いたことがある人は多いだろう。
1981年には、ブロンドの髪をばっさり切り、ダンサブルな『フィジカル』をリリース。フィットネスブームだった当時、レオタード姿でエアロビクスを踊るミュージックビデオも話題となった。
この大胆なイメージチェンジが大成功し、全米10週連続1位を獲得する大ヒット。1982年度の年間チャートでも1位を獲得し、1980年代の全米チャートで最もヒットした曲となった。

女優としてのオリビア
1978年、大ヒット映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)に主演し、人気絶頂だったジョン・トラボルタと共演したミュージカル映画『グリース』が大ヒット。映画のサウンドトラックからは、ジョンとデュエットした『愛のデュエット』が大ヒット。
さらに『愛すれど悲し』『想い出のサマー・ナイツ』が連続ヒットし、『愛すれど悲し』ではアカデミー賞の歌曲賞にもノミネートされている。
1980年には、ミュージカル映画『ザナドゥ』に主演し、映画のサウンドトラックから『ザナドゥ』『マジック』などがヒットする。
その後も、トラボルタと再共演した『セカンド・チャンス』(1983年)などに主演。この映画からも『運命のいたずら』などのヒット曲が生まれている。
『グリース』以外の映画は、興行成績は不振に終わっているが、映画のサウンドトラックからはヒット曲を連発し、ミュージカルスターとして1970年代後半から1980年代前半に大活躍していた。

近年のオリビア
1980年代後半からは音楽活動をセーブし、1984年にポーランド人のダンサー、マット・ランタッジと結婚。
その後は環境保護活動に力を入れ、ユニセフ親善大使を務めるなど、芸能界以外での活躍が伝えられるようになった。
1992年に、乳がんとの闘病を告白。がん治療の啓発活動にも熱心に取り組んだ。
1994年には音楽活動を再開、2000年のシドニーオリンピックの開会式でも歌声を披露し、2012年には盟友ジョン・トラボルタとのデュエットアルバム『The Christmas』を発表。
この頃、鬱病との闘病を告白、2017年にはがんが脊髄に移転していることも公表。
2018年にオーストラリアで出演したテレビ番組では、「私はがんとの闘いに挑む1人。克服すると信じているし、それが私の目標」と力強く語っていた。
また、最初の夫マット・ランタッジとは1995年に離婚し、2008年に実業家のジョン・イースターリングと再婚。幸せな結婚生活を送っていた。

オリビアに寄せられる追悼の声
数々の共演歴があるジョン・トラボルタは自身のInstagramを更新し、「愛するオリビア、あなたは私たちすべての人生をよりよいものにしてくれた」と投稿。
「そのインパクトは信じられないものであり、私はあなたのことが大好きでした」「きっと道のどこかで会うのかもしれません」「私が目に焼き付けたあなたの姿は永遠です」と追悼。
そして、『オリビアを聴きながら』の作者、尾崎亜美は自身のTwitterにて「『オリビアを聴きながら』という曲は、オリビア・ニュートン・ジョンさんの『Making a Good Thing Better』というアルバムタイトルに触発されて作りました」「改めて感謝の思いを捧げたいと思います」と哀悼の意を綴った。
