立民、西村幹事長「○○氏の判断であった」と資金提供問題について明かす
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今月12日、立憲民主党の西村幹事長は国会での会見で、立憲民主党がインターネットでの番組制作や配信を手掛ける「Choose Life Project(CLP)」に2020年、製作費として1500万円以上もの資金を提供していた問題に対し、支出は「当時幹事長だった福山哲郎氏の判断であった」ことを明かした。
資金提供問題の詳細
党がCLPに対し支援した期間は20年の3月から9月にかけてで、合計1500万円以上を提供した。
この問題を問われた西村幹事長は、「フェイクニュースおよび不公正な差別などが横行する中、そういった状況に対抗する新しいメディアを作り公正な情報を世に発信したいというCLPの考えに福山氏が賛同し、番組制作および運営の支援を行った」とし、こちらで番組の内容についての指示や要求などは一切していないと述べた。
また、西山氏は支出に当たり組織として議論した形跡もなく、公党が特定のメディアへ資金を支援したことに関して、国民の皆様に疑念を抱かしてしまったこととし、「適切ではなかった」と述べ、さらには福山氏への処分については「違法性があたっとはいえない」として、今夏の参院選での改選を迎える福山氏への党公認決定も支持する考えを示した。
資金提供問題の経緯
今回の問題は5日、CLPに出演していたジャーナリストらの5人が「政党からの番組への制作支援などの資金提供は報道倫理に反するもの」として抗議声明を出したことで発覚した。
福山市は翌日の6日に経緯についてコメントを発表したが、西村氏本人が直接説明すべきことかどうかについては本人次第との言葉にとどめた。
抗議の声明を出した、ジャーリストは元TBSアナウンサーでエッセイストの小島慶子氏、ジャーナリストの津田大介氏、朝日新聞記者で前新聞労連委員長の南彰氏、東京新聞記者の望月衣塑子氏、フォトジャーナリストの安田菜津紀氏らだ。
「Dappi」の存在について
これに加え「Dappi」という匿名のアカウントでツイッター内で野党を攻撃するような発言が起こっている問題に立憲が追求していことが逆にブーメランになっているのではという指摘に関しては「全くの事案として異なる。さらにCLPの関係でいえば、内容にも関与していないし、発言内容には違法な誹謗中傷的な発言はなかった。世論捜査とも関係なく全く事案と異なるものと認識している」と反論した。
その他、立憲民主党の小西洋之参議院議員はツイッターで「Dappiは違法だが、本件については法律上、問題ないと主張し、更には公党の行為としての妥当性などについて説明責任を果たす必要がある」と述べた。
Dappi(だっぴ)とは
Dappi(だっぴ)は日本語でのツイッターアカウントで、2019年から2021年にかけ、与党の自由民主党への賛同を行い、野党である立憲民主党や与党へ批判的なマスメディアへの批判をインターネット上で行っており、およそ17万人のフォロワーがいたとされ、国会議員からも度々注目されるなど大きな影響力を持っていた。
Choose Life Project(CLP)
通称CLPはインターネット上で、報道の番組を制作したり、配信を行っている団体で、元TBSでディレクターをしていた複数の人物によって立ち上げられた。
知名度としてはあまり高くないかもしれないが、国会議員や有識者の討論動画などで政治をメインテーマにしており、一部では注目を集めていた。
発足した当初では国政選挙の投票率が低い事態を受け、投票を著名人らに呼び掛けるような動画を作っていたが、次第に時事的なテーマも取り入れていき、討論形式での配信も行っていった。
公式サイトに行くと、「自由かつ公正な社会を目指し、一公共のメディアづくりを目指す」や、動画配信タイトルは「生活保護は権利です」、「ボトムアップ政治」の再生は可能か?立憲民主党代表選候補者に問う」「なぜ女性議員は増えなければいけないのか」などの文言が飛び交う。
福山 哲郎(ふくやま てつろう)
福山氏は日本の政治家でであり、立憲民主党の幹事長を務めていた人物である。
1962年に東京都で生まれた福山氏は京都府立嵯峨野高等学校、同志社大学法学部を卒業したのち、大和証券に入社。
その4年後に同社を退職した福山氏は、同年に松下政経塾に第11期生として入塾し、政治家としての道を歩み始める。
1998年の第18回参議院議員通常選挙に京都府選挙区から無所属で出馬し、初当選を果たす。
その後、2009年9月には鳩山由紀夫内閣で外務副大臣に任命され、翌2010年6月菅直人内閣では内閣官房副長官に就任し、退任後も参議院外交防衛委員長などを歴任した。
直近では2020年の9月15日に立憲民主党や国民民主党の一部議員が合流して結党した新・立憲民主党の初代幹事長に就任したが、2021年11月には衆議院議員総選挙での敗北を受け、党幹事長を辞任する意向を示した。