二宮和也主演のシベリア強制収容所「奇跡の実話」を映画化!!

人気グループ、嵐の二宮和也が来年公開される映画「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」(仮題)で主演を務めることが発表された。

本映画は1939年から1945年までの6年余りにわたった第二次世界大戦の終戦後に武装解除し投稿した日本軍捕虜らが旧ソ連軍からシベリアなどに強制労働として移送隔離され、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働を強いられた「シベリア抑留」の実態を映画化したもの。

過酷で絶望的な状況の中でも生きる希望を捨てず、強制収容所内の日本人捕虜たちに対し日本文化や帰国への希望を広め続けた一同の精神的支柱であった山本幡男さんを二宮が主演として演じる。

第二次世界大戦終了後、強制労働としてシベリアの強制収容所に抑留され捕虜となった日本人は60万人を超えた。


零下40度を超えるシベリアで過酷な強制労働を強いられる中、生きる希望を捨てず周囲に訴えかけていた男がいた。

当時の収容所内では、極寒な寒さと貧相な食事で栄養失調で死んでいく者や自ら命を絶つ者、日本人捕虜同士でのいざこざも多くあった。


そのような状況下でも、山本は彼らに対し「どんなに辛い状況にいようと、生きる希望を持つことと、日本帰国への希望を見失ってはならない」と仲間たちに訴え、励まし続けた。


山本自身も強制収容所内での過酷な労働などをしてきたが、強い行動力と信念で仲間たちを懸命に励まし続けた壮絶な半生が映画化される。


今回、主演を務める二宮が太平洋戦争を題材にした映画に主演するのは2006年、クリントイーストウッド監督作の「硫黄島からの手紙」以来となる。

今回、主演を務める二宮自身からも小道具や衣装合わせの際、何度も試行錯誤を行い、強いこだわりを見せるなど、並々ならぬ覚悟を持って臨んでいるとことだ。


また、監督を務める瀬々監督からは実際に起こった山本さんらの体験を多くの人々に伝え、生きる希望を持つこと、当時の抑留された人々の生き様などを通し、再び同じようなことが起こらないよう、こういった悲劇が起きないよう強い思いを込めて作ると意気込んだ。

そして、山本さんが生まれ育った島根県の隠岐の島にも足を運び、現地で感じた様々な想いを映画製作にも反映していきたいと語った。


企画プロデュースでは「黄泉がえり」や「余命1カ月の花嫁」などで数々の感動作を手掛けてきた平野隆で脚本には「永遠のゼロ」の林民夫など、22.7億円のヒットを記録した「糸」を生み出した3人が今回再集結することとなった。

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収容所(ラーゲリ)から来た遺書

今回の映画で原作となっているのは、辺見じゅんさんが1992年に書かれた「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」。


ソ連軍に捕らわれ、極寒と飢餓、重労働でシベリア抑留中に死んだ男が残した6通の遺書が彼を慕う仲間たちから厳しいソ連の監視網をかい潜り遺族のもとに届いた。


見つかればスパイ行為として厳罰を受ける状況の中、幡男さんが子供たちや妻であるモジミさんに残した手紙の中には4500字にも上る文章が綴られていた。


幡男さんが子供たちに残した内容には「一日も早く帰国したいと思っていたが、とうとう永久に別れねばならなくなったことは、何といっても残念だ」と最期の言葉も直接届けられずにあった。

シベリア強制収容所

シベリア抑留

「シベリア抑留」として、終戦直後に当時満州国などの外地に残っていた日本兵ら約60万人が、ソ連軍により武装解除された日本兵を捕虜としてシベリアなどの極寒の地へ強制的に移送された出来事のことをいう。


強制収容所内では、極寒の中で過酷な重労働や劣悪な生活環境だったと言われ、約10人に1人にあたる約6万人が命を落としたと言われています。


このソ連の行為は武装解除した日本兵が家族のもと、家庭に復帰できるとしたポツダム宣言に反するものであり、1993年に訪日したロシアのエリツィン大統領は「非人間的な行為」だったとそて謝罪の意を表したとされる。


しかし、同時にロシア側ではこの移送した日本軍将兵は戦闘継続中に合法的に捕虜したのであって、戦争終結後の不当な「抑留者」には該当しないとした。

山本幡男(やまもと はたお)

山本幡男

1908年に島根県隠岐郡に生まれ、第二次世界大戦終結後、旧ソ連軍によるシベリア抑留を経験した日本人の一人。


日本帰国が絶望的になっても抑留中、多くの捕虜となった日本人たちに生きる希望、日本に帰国する希望を絶え間なく発し続けた。


自身は帰国が叶わず抑留中に病死してしまうが、死ぬ直前に家族宛の遺書を残し、同士たちによってその手紙は日本遺族へ届けられた。


旧東京外国語大学で、ロシア語を学び、1936年には大連市の満鉄調査部に入社。


ロシア語の語学力を活かしながら、実力を発揮していき、ソ連の社会、経済、軍事などの書を執筆し高い評価を受けた。


しかし、第二次世界大戦後での日本の降伏後にソ連に抑留された。


さらに満鉄調査部での北方調査やハルビン特務機関でソ連の新聞や雑誌の翻訳を行っていたことから、ソ連に対するスパイ罪とみなされて重労働25年の刑が下され、冬には零下数十度となる厳しい気候、粗末な食事など劣悪な環境の中、長きにわたり重労働を強いられるようになった。

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