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田中カ子さん119歳で世界最高齢 目標は120歳!

2019年にイギリスのギネス・ワールド・レコーズ社から存命が確認されている世界最高齢者として公式認定された福岡市在住の田中カ子(たなかかね)さんが、1月2日に119歳の誕生日を迎えた。

1999年に119歳で死去したアメリカのサラ・ナウスさんからなんと22年ぶりの119歳最高齢到達者の誕生となる。

田中カ子さんのファミリーヒストリー

田中カ子さんは1903年(明治36年)1月2日、福岡県粕屋郡和白村(いまの福岡市東区)の農家である太田家の第3女、9人きょうだいの7番目として誕生した。

この年にアメリカではライト兄弟が世界初の有人動力飛行に成功、そして1年後には大日本帝国とロシア帝国との間に日露戦争が起こるなど、田中さんはまさに時代の転換期に生まれたといえる。

1915年(大正4年)に和白尋常高等小学校(いまの福岡市和白小学校)を卒業し、12歳で近くの村へ奉公に出た。

時代の転換期
日露戦争時、ちょうど時代の転換期に生まれた

仕事は子守や裁縫に加え、機織りや農作業の手伝いなどであった。

1922年(大正11年)19歳の時にいとこの田中英男さんと結婚、夫の実家である田中餅店で食品の販売を行った。

夫の英男さんが商才に長けていたことで、餅やぜんざいの他に、近隣農家の小麦を機械を使って自家で製粉、それを使ったうどん屋も経営していたという。

また、燃料となる松葉、砂利や縄の販売、船での運送、店舗の賃貸など商売は多岐にわたった。

夫の英男さんはカ子さんより1歳年上のいとこだった。

1923年(大正12年)徴兵検査に攻守合格し入営したが、翌年1924年(大正13年)に病気のため除隊になった。

その後、1937年(昭和12年)日中戦争に召集されるが1939年(昭和14年)に帰還。

その後また召集。ガダルカナル島の戦いでの苦戦を経ながらも、転進命令を受けて命拾いをしている。

1937年に英男さん出征の際、長男も同じく出征しており家には男手がなかった。

それでもカ子さんは、めそめそしている場合ではない、と精米や餅つきなど力仕事を何でもこなすようになり、福岡の博多海軍航空隊の中にうどん店を出店して留守を預かった。

カ子さんの子供たち

カ子さんは英男さんとの間に2男2女の4人の子供を授かった。

多くの子どもを授かった
たくさんの子どもたちにも恵まれた

1925年(大正14年)長男信夫さんが生まれた。

1929年(昭和4年)には長女悦子さんが誕生するが、なんと生後1か月で死去。1930年(昭和5年)次男の恒男さんが誕生する。

戦後1946年(昭和21年)次女の和子さんが生まれるが、翌年に1歳3か月で死去した。

また、長女悦子さんが幼くして亡くなったあと、自分の姉の次女ハツエ(当時7歳)を養女に迎えるが、ハツエは1945年23歳で亡くなっている。

加えて、戦時中には英男の戦死した妹夫婦の子供3人を預かって育てていた。

息子の信夫さんは1942年(昭和17年)に水戸陸軍飛行学校に入学して、その翌年朝鮮と満州へ出征する。

終戦後はウランバートルに抑留されて捕虜となるが、1947年(昭和22年)に帰国した。

カ子さんは、長女、養女、そして次女を亡くすというつらい経験をふりかえり、その心境を「涙なみだ」と語っている。

カ子さんのスーパーウーマン的戦後

カ子さんは戦後すぐの1948年(昭和23年)にすい臓がんで手術をし、みごとがんを克服した。

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この時カ子さん45歳。日本ではちょうど東京裁判でA級戦犯とされた7名の絞首刑が執行された年だ。

1950年(昭和25年)駐留アメリカ軍や牧師などの影響を受けてキリスト教徒となった。

教徒となったカ子さんと英男さんは1959年(昭和34年)にさざなみ幼稚園を西戸崎バプテスト教会の中に設立し、英男さんが園長に就任した。

幼稚園が設立された年は、まさに今の上皇様上皇后様がご成婚されて日本全国が喜びと歓声に包まれた年でもある。

この幼稚園は1997年(平成9年)に閉鎖されるまで続いた。

一方、戦後も引き続き夫婦で田中餅店を経営していたが、1966年(昭和41年)カ子さんは63歳になった時に隠居、長男信夫さんが家業を継いだ。

隠居後は海外旅行へ出かけたり子供や孫を訪ねたりというアクティブな生活をしていたカ子さん、1970年には金婚式を記念して夫婦でアメリカ旅行をしている。

1970年といえば、大阪万博の年、そして日航機ハイジャック事件や三島由紀夫の割腹自殺が起こった年でもある。

驚くことに、隠居したはずのカ子さんはこの年に花屋をオープン。

この店には80歳になる前まで働き、102歳で老人ホームに入るまで店に立つ日があったという。

103歳の時には大腸がんが見つかったものの、手術をして回復。

苦労に打ち勝ち、人生を楽しみ、思い切り働き、そして病気にも負けないカ子さんはまさにスーパーウーマンだ。

1993年(平成5年)、90歳で夫の英男さんが死去し、2005年(平成17年)には長男の信夫さんが80歳で死去。

大腸がんであった。その年カ子さんは102歳で、福岡市東区の有料老人ホームに入居することとなった。

2010年(平成22年)にはカ子さんの人生をつづった評伝である「花も嵐も107歳 田中カ子・長寿日本一への挑戦」花田衞著(梓書院)が出版されている。

今が一番
今を一番楽しんでいると笑顔で語ってくれた

「今」がいちばん 目指すは120

2,019年にギネス・ワールド・レコード社から「存命中の世界最高齢」と公式認定を受け、認定証を受け取った。

その時に、今までで一番楽しかったことは?との質問に、「今」と答えている。なんとも前向きなコメントだ。

老人ホームでは笑顔を欠かさず、周囲への気配りに長けているカ子さんは友人も多く、また入居者の母としても慕われているという。

現在カ子さんは療養中ということで本人からのコメントはでていないが、親族によると来年120歳の誕生日を目標にしているということである。

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