タレントの矢部美穂が結婚報告!
お相手は川崎競馬所属の山林堂騎手
タレントの矢部美穂が、2022年5月26日に入籍したことを報告。
お相手は川崎競馬場所属のベテラン騎手・山林堂信彦。
矢部は2019年に地方競馬の馬主資格を取得しており、矢部の所有馬に山林堂が騎乗したのが、2人の出会いのきっかけであった。
それまで矢部は、山林堂という騎手の存在も知らなかったという。しかしエージェントの勧めで、所有馬の騎乗を山林堂に依頼した。
そして何度か依頼していくうちに、山林堂の仕事に対する姿勢や人間性に自然と惹かれていったのだと語っている。
山林堂は、「矢部美穂」というタレントは知っていたが、ファンではなかったという。
しかし馬を通じて接していくうちに、芸能人なのに、こんなに誰にでも気さくに接する姿に好印象をもったのだとか。
山林堂からみた矢部は“男気”があり、まるで父親のような存在で頼もしいと、冗談交じりで語っていた。
そして取材陣に、「どんな困難でも笑って乗り越えていける、お互いのことを尊敬し合える、そんな家庭を築いていきたいです。」と笑顔で話してくれた。
付きあった当初に山林堂は「美穂のウエディングドレス姿が見たい」と言っていたそうだ。
この頃から2人は結婚を意識したお付き合いを深めていき、約2年の交際を経て、ついにこの日を迎えた。

プロポーズは?
入籍同日の早朝、花束を渡されると共に「結婚してください。」と山林堂からプロポーズの言葉をもらったという。
取材陣からのプロポーズを受けた決め手はなにかという質問に、「私にとって最後の恋、そして最愛の人だと感じたからです。」と幸せそうに語っていた。
さらに矢部は、「母も離婚しているし、自分が結婚する相手はずっと好きで居られる、尊敬できる相手じゃないと・・・と思っていました。山林堂さんは、わがままも受け入れてくれ、どんなにイライラしていても穏やかに話を聞いてなだめてくれます。こんな男性に出会ったのは初めてで、彼はそれも楽しんでいるみたいです。」と笑顔で取材陣に惚気たのである。。
矢部は自身の母と同居していることもあり、交際当時から都内の自宅と川崎市内にある山林堂の自宅を往復する生活をしていたという。
しばらくはその生活が続くが、今後は「なるべくご飯も作ってあげたいですし、気持ちは少しだけ川崎のほうに多く居たいと思っています」と新婚生活への意気込みも十分だ。
9月には都内で挙式も予定している。

結婚後の芸能活動?
矢部は結婚後も、芸能活動は続けていくという。今月24日に発売された「週間アサヒ芸能」でグラビアを卒業。今後はタレントとして芸能活動していく予定だ。
ファンからは「馬主さんと騎手さんの結婚!素敵!これからもお幸せに」「末永くお幸せに」という祝福の声が多く寄せられている。
矢部は、「自分たちの関係もオープンになったし、そういった部分を私も広めて、彼にチャンスがたくさんきたらいいなと思っています」と、さっそく夫となった山林堂の活躍を願ったコメントをしていた。
また、山林堂も「結婚しても矢部美穂は変わらず矢部美穂です。今後ともファンの皆様、よろしくお願いします」と芸能活動を応援している。
矢部美穂の経歴
矢部は1977年6月7日生まれ。北海道出身であり、1992年に雑誌コンテストでグランプリを受賞。
16歳で芸能界デビューし、グラビアアイドル・女優・バラエティー番組など、さまざまなシーンで活躍。
デビュー当初は清純派アイドルで売り出していだが、途中からグラビアアイドルへ路線変更。グラビアアイドルとして活動しながらも、人気テレビドラマや映画、ラジオやCMにも出演する人気タレントへとなった。
矢部の父は元地方競馬騎手だったこともあり、矢部自身も公営競技に詳しく、中央競馬では日刊スポーツコラムを掲載したこともある。
2012年には故郷である北海道の旭川市の「サテライト旭川」の所長に就任。2019年には馬主資格を取得、そして所有場である「ディーレクタ」の馬主となる。
なお馬主として所有していた「ディーレクタ」は、山林堂との結婚に際し、競馬の規定に従い矢部の母へ所有権を移転している。

山林堂信彦の経歴
1978年8月10日生まれ、神奈川県出身。テレビで競馬を見たのをきっかけに騎手を目指す。最初は中央競馬を受けていたが、父親の知り合いの影響で地方競馬の存在を知り、地方競馬騎手の道を選んだ。
1997年に地方競馬騎手免許を取得し、佐々木國廣廐舎からデビュー。1997年4月9日の川崎競馬で初騎乗。同年7月5日の川崎競馬第5競走で33戦目にしてタカラトップレディで優勝、これが初勝利であった。
2019年10月20日に盛岡競馬場で行われた「OROターフスプリング」で、逃げ切り価値を収め、デビュー23年目にして初めての重賞初制覇。
その後池田孝廐舎へ所属を変更するが、2002年11月には八木正廐舎へさらに所属を変更。しかし、2013年には池田孝廐舎へ再び所属を戻している。
