高橋幸宏さん死去。確かな技術と多彩な才能、愛される人柄に寄せられる追悼の声
YMOをはじめ多彩な才能を発揮し活躍
ミュージシャンの高橋幸宏さんが、2023年1月11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎のため亡くなっていたことがわかった。
所属事務所が1月15日に発表し、後日お別れの会を執り行う予定だという。
享年70歳。
喪主で、妻の喜代美さんが発表したコメントによると、
「2020年夏に判明した脳腫瘍の摘出手術は成功裡に終わり、その後は復帰に向けて度重なる治療と入院を繰り返しながらリハビリに、真摯に向き合ってきました」とのこと。
しかし、「昨年(2021年)11月より自宅にて静養しておりましたが、年末から容体が悪化し、帰らぬ身となりました」と報告。
本人は元より、家族、親族と最善を尽くしてまいりました。
何よりも携わっていただいた医療関係者の皆さまに深く感謝いたします」と感謝の意を表した。
1952年東京生まれの高橋さんは、1978年に細野晴臣さん、坂本龍一さんと結成したイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のドラマーとして知られ、ボーカルも担当した。
YMOは当時最先端だったコンピューターやシンセサイザーなどの電子楽器を使った斬新な音作りが世界的にも注目を浴び、『テクノポリス』などが大ヒット。
“テクノポップ”という新たな音楽ジャンルを確立。
高橋さんは、『テクノポリス』に並ぶ代表曲『ライディーン』の作曲を手掛けている。
YMOは音楽性に加え、もみあげを切りそろえた髪型“テクノカット”などビジュアル面でも注目を浴びたが、コンサートで着用していたYMOのトレードマークとも言うべき赤い人民服のデザインは高橋さんの手によるもの。
ファッション・デザイナーとしても活躍し、自らのブランドを立ち上げるなど、音楽界のみならずファッション界でも長く活躍した。
YMOに参加する以前は、サディスティック・ミカ・バンドやサディスティックスのメンバーとして活動。
サディスティック・ミカ・バンド時代には、ロンドンでのロキシー・ミュージックのライブの前座として出演。
後に海外でライブを行うYMOメンバーの中で、結成当時は唯一海外公演の経験があった。
コンピューターが生み出す電子的な音に合わせ、正確なリズムとシンプルかつ多彩な表現ができるドラミングは多くのミュージシャンに影響を与え、リスペクトされていた。
温厚な人間性でも知られ、音楽性の方向性の相違などで険悪になりがちだったYMOメンバーの細野と坂本の間を取り持つ立場だったという。
YMO結成と同じ1978年には初のソロアルバム『サラヴァ!』をリリース。
YMOが1983年に散開(解散)して以降は、ソロ活動やプロデュースのほかにもさまざまなミュージシャンと積極的にコラボレーションした。

2年にわたる闘病生活
高橋さんは2020年以前から病気との闘いが続いていたが、2020年初夏を迎えるころから断続的な頭痛が続き、検査を受けたところ脳腫瘍の疑いと診断された。
同年8月に摘出手術を受けたことを公表。
「現実を受け止められなくて、絶望感で言葉も出ない」心境だったことを後に明かした。
10月には退院したが、約80日間にも及んだ入院中には30回もの放射線治療と42日間の抗がん剤治療も行ったという。
退院時には、「できるだけ早い時期に、皆さんの前に立てるよう努めていきたい」とコメントしていた。
その後は、毎月1回のMRIの定期検査や通院による化学治療を続けていた。
しかし2021年6月には、自身のTwitterで「まんまと嫌な予感が当たり、僕はまた別の治療を始めます」とツイート。
病名は明かさなかったが、別の治療を始めたことを公表していた。
同年8月に、「手術からほぼ1年。
この間、治療を続けながら音楽制作活動を行ってまいりましたが、ライブのための十分な体力の回復にもう少しだけ時間がかかりそうです。
しばらくライブはお休みとさせていいただき、治療に専念してまいります。
近い将来、元気な姿で皆さんとお会いできるように」と、治療に専念する様子も明かした。
22年6月の誕生日翌日には、自身のInstagramに「みんな、本当にありがとう。
fromユキヒロ」との文章とともに、軽井沢で撮影された椅子にもたれかかる画像を投稿。
Twitterにもシェアしたが、それが最後のツイートとなった。
2022年9月には、高橋さんのプロ音楽活動50周年と、生誕70周年の記念したライブが開催されたが、高橋さん本人の出演は叶わなかった。

寄せられる追悼のメッセージ
高橋さんの訃報に際し、多くの著名人から追悼のコメントが寄せられている。
YMOのメンバーとしてともに活動した坂本龍一は、自身のTwitterにグレー一色の画像を掲載。
画像のみで文章はないが、高橋さんへの追悼の思いを表したものと見られている。
2021年1月に、坂本が中咽頭癌に続いて直腸がんを公表した際、高橋さんは「絶対に大丈夫!」とツイートし、激励していた。
そして、自身の入院中に坂本から朝晩メッセージが届いていたことを明かし、「迷いに落ち込んだとき、室内に吹く風のように感じるんです」と嬉しさと感謝を表していた。
高橋さんとは10代の頃からのつきあいだったYMOの細野晴臣と、サディスティック・ミカ・バンドで活動をともにした小原礼の2人はショックが大きく、コメントが出せない状態だという。
YMO時代に、ツアーなどに参加したシンガー・ソングライターの矢野顕子は、自身のTwitterに「YMO Goes Forever.」とツイート。
公私にわたって親交があり、高橋さんプロデュースでアルバム制作をしたこともある俳優の竹中直人は、
「“竹中くんは面白いなぁ…” 何とも言えない笑顔で僕のくだらないギャグに笑ってくれた幸弘さん。
“竹中君、アルバム作ろうよ”
“え? 本当ですか?”
“うん”
幸宏さんのスタジオでレコーディングをした夢のようなとき」
と当時のやり取りを再現し、
「本当に、本当に沁みるほど優しい人でした。
さびしいです。
ただたださびしいです。
幸宏さんの見つめてきたあらゆる風景、人、魚たち、動物たち…
その中のほんのほんの一部に自分が関わらせていただいたこと、ただただありがたい思いでいっぱいです」
などと感謝を込めたコメントを発表した。
